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「くぐひ」


企業研究部会


2024年3月の活動

第184回企業研究部会

『ロボテラス(公益財団法人湘南産業振興財団)』

3月21日(木) 極楽部会・談話室・企業研究部会合同で辻堂のロボテラスを見学した。
 報告は極楽部会ページに掲載。(→こちら

2024年2月の活動

第183回企業研究部会

『古賀政男音楽博物館(一般財団法人古賀政男音楽文化振興財団)』

2月28日(水)参加者 5名

 東京都渋谷区上原にある古賀政男音楽博物館を訪問。同館は「古賀メロディー」と呼ばれる数々の名曲を作曲した古賀政男の遺志を引き継いで誕生した日本の大衆音楽の博物館。
 古賀は大学卒業後居を構えた代々木上原の地に音楽創造に邁進する同士を集めて音楽村を創ろうという構想を持っていたとのこと。
 古賀所縁の展示に加え、日本の歌謡史についても展示。我々の訪問時には「古賀政男と服部良一の昭和史」と題した特別展が開催中。
 展示を見学した後は地下一階にあるカラオケスタジオで古賀メロディーに2名が挑戦。ただ、曲名は知っていても、今まで歌ったことがなく苦戦。今後カラオケ部会で再チャレンジしようということになった。


報告:田中(章)、写真:池田(雄)、田中(章)

2024年1月の活動

第182回企業研究部会

『ロマンスカーミュージアム(小田急電鉄株式会社)』

1月24日(水)参加者7名

 2021年海老名市にオープンした小田急電鉄初の鉄道ミュージアム「ロマンスカーミュージアム」を訪問。
 小田急線開業当時の「モハ1」、懐かしい歴代のロマンスカーが並ぶギャラリー、新宿から小田原・箱根へ走るロマンスカーをプロジェクトマッピングと音楽で演出するジオラマパーク等を見学した。
 メカに強いクラブ員の面々は普段見ることが出来ないロマンスカーの連結部分を熱心に観察していた。


報告・写真:田中(章)

 2023年12月の活動

第181回企業研究部会

『メルシャン株式会社 藤沢工場』

12月19日(水)参加者13名(内ゲスト1名)

 かねてより要望の高かった、藤沢の地で創業100年以上、ワイン出荷量日本一を誇るメルシャン藤沢工場を見学。この見学は2020年に予定していたが、その後新型コロナウイルス感染拡大により中止となっていたもので、今回漸く実現出来た次第。参加者11名は藤沢駅北口より湘南台駅西口行バスに乗車、約20分でメルシャン前バス停に到着したが、IYさんとゲスト参加のSさんは既に約1時間かけて徒歩で到着されていた。その健脚ぶりに驚く。
 全員が揃ったところで、会議室に案内され、同社の歴史(数社が合併して現在に至り、キリングループの傘下となった)、ワインの日本に於ける消費量、藤沢工場に於けるワインの製造工程等について説明を受けた後、防護用ヘルメットを着用して工場内を案内して頂いた。参加者からは熱心な質問も飛ぶ。
 工場見学の後は試飲タイム。2023年にSAKURAアワード金賞を受賞した「メルシャン・ワインズ ブレンズ パーフェクトブレンド マイルド レッド」と「メルシャン・ワインズ サニーサイド オーガニックスパークリング 缶」を賞翫。前者はオーストラリアワインとスペインワイン,即ち南半球と北半球のワインをブレンドしたとのことで、フルーティで調和のとれた味わい、後者は果実味豊かで優しい味わい。その後売店で各々好みのワインを購入して帰路に就いた。藤沢駅南口で反省会を実施して散会。

報告・写真:田中(章)

2023年6月の活動

第180回企業研究部会

『田村酒造場』

6月16日(金) 参加者8名

 今回は東京都福生市まで足を延ばしての企業見学。
 福生駅西口から徒歩10分の玉川上水ほとりにあるのが文政5年(1822年)創業の田村酒造場。代表銘柄は「嘉泉(かせん)」。その名前は敷地内で酒造りに最適な水を掘り当てた喜びに由来するという。職員の方の案内で本蔵・中蔵・新蔵が連なる構成の酒造蔵、仕込み水の井戸、国の登録有形文化財等を見学。
 企業研で今まで訪問した酒造場の中では一番広いと思われる敷地内には、慶応3年に徳川幕府より許可を得て玉川上水から分水した田村分水が流れている。
 平成28年には天皇皇后両陛下(現上皇皇后両陛下)が田村酒造場をご視察され、その記念碑がある。
  (宮内庁ページから
 見学の最後に、「嘉泉」他3種のお酒を試飲をさせて頂いた。

樹齢約900 ~1000年の大欅



報告:田中(章)

2023年5月の活動

第179回企業研究部会(企業研究部会・健康部会合同企画)

『めんたいパーク伊豆(かねふく)、伊豆わさびミュージアム(山本食品)』

5月24日(水)参加者15名(内ゲスト1名)

 健康部会と合同で実施した30周年記念一泊旅行の2日目に両館で工場見学。また道の駅伊豆ゲートウェイ函南と川の駅狩野川水防センターも見て廻った。

報告:田中(章)

2023年3月の活動

第178回企業研究部会(企業研究部会・近代史を語る会合同企画)

旧新橋停車場 鉄道歴史展示室(公益財団法人東日本鉄道文化財団)』

3月9日(木)参加者9名(内ゲスト2名)
 
報告は近代史を語る会ページに掲載。(→こちら


報告・写真:田中(章)

2022年10月の活動

第177回企業研究部会(企業研究部会・災害研究部会合同企画)

『本所都民防災教育センター(本所防災館)』

10月10日(月・祝)参加者8名(内ゲスト1名)

 報告は災害研究部会ページに掲載。(→コチラ

                                 左から3人目はゲストの河合さん
報告:柳田、写真:田中(章)

2022年7月の活動

第176回企業研究部会

『キリンビール株式会社横浜工場』

7月26日(火)参加者9名

 新型コロナウイルス感染拡大の為、2020年2月を最後に休会していた部会を再開した。
 奇しくも再開第一回目の訪問先は前部会長の西元さんが勤務されていた会社。そんなことを参加者と語りながら京急・生麦駅から工場に向かう。
 今回の見学ツアーは「より五感に訴える体験」を謳い、映像や音による演出を充実させ、麦芽の試食や麦汁の飲み比べなどをはさみながら製造工程を巡るというもの。
 最後のテイスティングでは同社の看板商品である「一番搾り」の味わい方を解説するセミナーがあり、生ビールをおいしく提供するための知識や技術を習得した「ブルワリードラフトマスター」と呼ばれるスタッフが注いだ三種類の「一番搾り」が提供された。流石に出来立てのビールはどれも旨い。
 帰路、生麦事件の碑を見学し、駅近くの「味楽」にて反省会を実施。

 

報告・写真:田中(章)

2020年2月の活動

第175回企業研究部会

『神奈川県立近代美術館 鎌倉別館』

2月26日(水)参加者9名

 江ノ電鵠沼駅から鎌倉に向かったが、普段は込み合う江ノ電も今日は新型コロナウイルス感染拡大の影響か乗客はまばら。やはり外国人観光客もほとんどいない鎌倉小町通りを抜け、2年間の改修工事を終え昨年10月にリニューアルオープンした近代美術館へ。
 同館は日本で最初の公立近代美術館として1951年に開館、この日は「生誕120年・没後100年関根正二展」が開催中であった(その後3月4日から15日迄新型コロナウイルス感染症拡散防止のため休館が決定)。
 大正の激動期を駆け抜け、20歳の若さで夭折した画家、関根正二(1899-1919)の、同館では20年ぶりにして過去最大規模の回顧展。「三星」「姉弟」などの稀少な油彩作品に素描・書簡等の未公開資料を交えて紹介された天才・関根正二の世界に見入る。反省会を小町通りの日本料理店で行ない解散。


報告・写真:田中(章)

2020年1月の活動

第175回企業研究部会

『豊島屋酒造株式会社』

1月22日(水)参加7名(内ゲスト1名)

 東京都東村山市にある豊島屋酒造(株)を訪問。東京に数社ある酒造所の一つで宮内庁や明治神宮など、法人向け出荷が大半という老舗酒造会社である。
 営業部の川上さんのわかりやすく、丁寧な工程説明を受けながら工場見学を行い、その後試飲会に臨んだ。机には10種類ほどの4合瓶が並び、地下150mからくみ上げたリフレッシュ用の地下水とお猪口で、各自それぞれに手酌でテイスティングを行った。初めのうちはもっともらしい表情で利き酒をしていたが、お猪口に入れる量が自己判断で自由であったので試飲が徐々に飲酒に変わり、終いには何を飲んでいるのかわからない状態になっていった。川上さんが「わからなければもう一度飲めばよい」と拍車をかけた。
 川上さんの「日本酒に銘柄や価格などによる旨い、まずいの絶対評価はない。その人がうまいと思えばそれがうまいのだ。」「楽しい人と飲む酒がうまいのだ」など、心に響くトークも楽しかった。
 その後駅の近くで反省会を実施。企業研究部会は勉強になる。

東村山の酒造所
熟成タンクを熱心にのぞき込む部員
豊富な製品群

多くの品種の利き酒に熱心に取り組む

川上さんとの話も弾む



報告:塩川、写真:塩川・田中(章)

2019年12月の活動

第174回企業研究部会

『ナスラック株式会社 鎌倉工場

12月9日(月)参加者10名(内ゲスト1名)

 ナスラックはキッチン、システムバス、洗面化粧台、収納家具、室内建具や建物の建材、構造部材を扱う住設建材総合メーカー。同社の工場は千葉、深谷、神戸、出雲にもあるが、鎌倉では賃貸住宅向けのコンパクト・キッチンや洗面化粧台の製造を行なっており、水まわり商品における最大規模の工場となっている。
 第一工場(水まわり製品生産工場)は1階(ステンレス加工ライン)、2階(事務所・倉庫)、3階(キャビネット組み立てライン)に別れており、従業員の方の案内で各ラインを約1時間かけて見て廻った。
 尚、同工場の環境への取り組み(ステンレス端材再利用、樹脂リサイクル、環境に優しい植物性潤滑剤使用、リサイクルが容易な段ボールのみで梱包)は特筆に値する。


報告・写真:田中(章)

2019年11月の活動

第173回企業研究部会

『横浜美術館』(公益財団法人横浜市芸術文化振興財団)

11月9日(土)参加者4名

 横浜・みなとみらい駅から徒歩3分の横浜美術館を訪問。開館30周年記念/横浜開港160周年を記念した「東西交流160年の諸相」、「絵でたどるペリー来航」展を鑑賞。
 小さな横浜村にペリー艦隊の一行が上陸した場面《ペルリ提督横浜上陸の図》は、横浜開港につながる歴史的瞬間を描いている。その後、同館エデュケーターによるデモンストレーション「石版画ってどんな技法?」を約1時間見学。


報告・写真:田中(章)

2019年10月の活動

第172回企業研究部会

『Fプレイス』(藤沢市藤沢公民館・労働会館等複合施設)

10月23日(水)参加者6名(内ゲスト1名)

 今年4月から供用を開始した藤沢市藤沢公民館・労働会館複合施設(愛称:Fプレイス)を訪問。指定管理者の方の案内により内部を見学した。
 旧藤沢公民館と労働会館が一体化した施設であるので、中は卓球台、ピアノ、大型鏡を備えた多目的室、会議室、多目的交流ホール、保育室、調理室、藤沢市民図書室等の他、2階から3階が吹抜けとなったホール(定員300人)があり、企業、労働団体、一般、誰でも利用可能。労働会館貸室も同様。
同施設最上階である6階の「天空のカフェ 3+3 CAFE」は展望テラスがあり、晴れた日には富士山や江ノ島が一望出来る。このカフェで反省会を行う予定であったが、当日は団体予約が入っていた為断念した。 


報告・写真:田中(章)

2019年9月の活動

第171回企業研究部会

『東京ステーションギャラリー』(公益財団法人東日本鉄道文化財団)

9月25日(水)参加者11名(内ゲスト3名)

 東京ステーションギャラリーにて開催中の「没後90年記念『岸田劉生展』」を鑑賞。
 同展では東京国立近代美術館をはじめ日本各地から劉生の絵画の道標となる150点以上の作品が選ばれて一同に揃った。作品を制作年順に構成し、劉生の38年の画風の変遷を辿ろうとするもので、画風を新たな作風へと展開し続けた劉生は、その有名な麗子像も次々と変化させ、それらを並べて観られるのは至福の限りだ。改めて劉生の独創的な絵画の革新性を感じた展覧会であった。劉生の鵠沼時代の住居の2階から見える、現在の湘南学園方面に向かって伸びる田園風景を描いた作品は今昔の感あり。
 ところで個人的なことであるが、今年春、岸田麗子のお嬢様、すなわち岸田劉生のお孫さんである画家・岸田夏子さんの展覧会(日本橋三越にて開催)に行ったのだが、この報告文を書いているまさに今、岸田夏子さんから、明日から開催予定の岸田夏子展(今年は大阪高島屋にて開催)の美しい図録と案内状が送られて来て、この偶然に驚いた次第である。


報告・写真:田中(章)

2019年8月の活動

第170回 企業研究部会

『箱根彫刻の森美術館(公益財団法人彫刻の森芸術文化財団)』

8月28日(水)参加者4名

 芸術と自然との共存がその美を倍増させている彫刻の森美術館。生憎の悪天候の為、屋外に展示されている彫刻は駆け足で見て廻り、彫刻の森美術館開館50周年記念イベントとして本館ギャラリーで開催中の「Asada-Studio 浅田撮影局」、「あれこれ開発工場」の他、パブロ・ピカソの陶芸を中心に、絵画、彫刻、タピスリー、ジェマイユ、金銀オブジェなどの多様な技法の作品を公開している「ピカソ館」の方をじっくり見学した。
 人々の記憶に残る記念写真を撮り続けている写真家、浅田政志氏のAsada-Studioには、所蔵作品と一体化できるスポットや青空の背景で撮影できるスポット等があり、参加型の展示を楽しめる工夫が凝らされている。
 ピカソは最も多作な美術家であるとギネスブックに記されており、ピカソ館で展示されている作品はそのほんの一部にすぎないが、改めて彼の才能に驚愕。ピカソ晩年の「この歳になってやっと子供らしい絵が描けるようになった」との言葉が印象に残った。
 反省会は同施設内にある「彫刻の森ダイニング」で実施、眺望良好な大窓からは美術館敷地内の広場を一望でき、天候が良ければ相模湾も遠望できたことだろう。


報告・写真:田中(章)

2019年7月の活動

第169回 企業研究部会(企業研究部会・災害研究部会合同企画)

『辻堂浄化センター』

7月24日(水)11:00~12:50 参加者20名(内ゲスト2名)

 初めにセンター概要の紹介のあと、事前提出した質問や新たな質問に回答頂き、センター内の見学を案内して頂いた。

<センター概要>
 1964年8月、東京オリンピックに合わせて運転開始。藤沢市を3地区(南部処理区、東部処理区、相模川流域処理区)に分け、下水管も各地区内で集めて下水処理している。藤沢市内では最も早く操業開始した南部地区は、遠藤、大庭、鵠沼、辻堂、片瀬を含み、汚水と雨水の合流式(但し、大庭、辻堂の一部は分流式)で辻堂浄化センターで処理している。東部、相模川地区は分流式で東部地区は大清水浄化センターで処理している。下水は比較的高い北部から低地の南部へ向かって流下し、平坦な地形である南部は途中10か所のポンプ場で大きなゴミや砂を除き圧送、辻堂浄化センターまで送っている。

 浄化センターでは、(沈殿地でゴミを除去)-(微生物で汚れを分解する反応タンク)-(最終沈殿)-(薬品で滅菌)-(海へ放流)しており、沈殿物は脱水、焼却後、資材として活用。

<質疑>
・集中豪雨時の雨水処理が間に合わなくなるのではないか
  下水管から浄化センターまでの途中工程で増加分を川に流して調整している。
・貯留管は何処にあるのか
  南部では4か所(辻堂・明治・郵便局・蓮池)
・津波がセンターの排水管を逆流しないか
  センターから放流する場合と逆流防止のために放流扉が一方向になっており逆流は無いが、津波が
  10mを越す場合はセンターは冠水して機能が失われる恐れがある。
・下水管の老朽化対策はどうか
  耐用年数が50年で交換対象は多い。

<見学>
 センター内の施設を見学した。敷地は東京ドーム2個分の広さに陸側から海に向かって6系統の浄化施設が建物内に敷設されており、沈殿後の上澄み液が次第に透明性を増してゆく様子が見受けられた。


報告:柳田、写真:田中(章)

2019年6月の活動

第168回企業研究部会

『富士御殿場蒸留所(キリンディスティラリー株式会社)』
6月26日(水)  参加者:8名

 6月の一日、企業研究部会の工場見学は御殿場にあるキリンビール関連のウィスキー蒸留所訪問になった。通勤時刻を過ぎたころ、8人(一人は東京から直接参加)の呑ん兵衛が東海道線に乗り込み、国府津を経由して御殿場へ。御殿場では工場のバスが待っていた。
 ここは10数年前「キリンシーグラム」時代に、やはり企業研究部会で訪問している。当時の部会長は西元さん。キリンビールの出身であることから、訪問時には工場長が丁重に出迎えてくれ、お土産に「富士山麓」を1本もらった記憶がある。因みに当時は「富士山麓」は1種類のみで、販売促進のためか1000円程度の価格だった。現在はこのほかに5千円の高級品もあり、これは格段に旨くなっている。
 大メーカーの蒸留所としては比較的新しく、近代的な施設になっている。サントリー、ニッカの2大メーカーに比べ、別棟に保管している醸成中の12万ものウィスキー樽、実際に蒸留中の過程などは見ることが出来ず、見学者用の施設としては少々物足りないが、案内嬢の丁寧な説明が補ってくれた。エンジェルズシェアー、ポットスチル、連続蒸留塔、ブレンダーなど普段聞きなれない言葉の説明もわかり易かった。
 造り酒屋、ビール工場などの見学での試飲会は楽しいものだが、今回も見学の終わりに試飲会場が用意されており、幾つかの見学グループが賑やかに試飲を楽しんでいた。この工場では「富士山麓」の二つのレベルのウィスキーを作っているが、このうち高級な方が2杯提供されている。ストレート、1滴だけスポイトで加水、水割りなどの幾つかの飲み方を試す。当然それぞれ味わいが異なるが、一番旨いと感じたのは1滴だけスポイトで加水したもので、中から思いがけず強い甘さが出てきた。皆さん一度試されたらいかが。
 味は確かに良かったが、1杯が15cc(合計30cc 一般的にはシングル1杯分)ではわれわれ呑ん兵衛が足りるはずもなく、そうかといって追加はできず、生酔いのうちに工場を後にした。
 御殿場での反省会は大変苦労した。人通りが閑散としている昼時の御殿場は、開店している飲み屋があるはずもなく、15,6分も探した結果の食堂も1軒だけ。今後御殿場での昼の反省会はあきらめ、早く藤沢に帰った方がよさそうである。      


報告:嶋村、写真:田中(章)

2019年5月の活動

第167回 企業研究部会
『ASOBUILD(株式会社アカツキライブエンターテインメント)』

5月22日(水)  参加者:9名(内ゲスト1名) 

 本年3月15日にオープンした横浜駅直通のエンタメビル「ASOBUILD(アソビル)」を見学した。
 同施設は「遊べる駅近ビル」をコンセプトとした横浜駅東口通路直通の複合体験エンターテインメントビル。横浜中央郵便局別館をリノベーションした屋上、地上4階〜地下1階建のビルで、フロアごとにテーマの異なる様々な体験を提供している。
 到着後、別れてUNKO MUSEUM、ハンドメイド体験ができるMONOTORY等を見学。前者は”人類未体験のエンタメ”を売りにしたユニークなミュージアム。幼児や外国人たちが楽しそうにゲーム、お絵描き等を楽しんでいた。3階のMONOTORYにはものづくりのワークショップが行われるスタジオが多数あり、革製品・アクセサリー・キャンドル・造花・陶芸などのワークショップが開かれるそうだが、当日の午前中は残念ながら何も実施されておらず。また、これらのワークショップで使用する部品や工具等も売っており、専門的な工具も多く揃っている。DIYに関心のある方には一見の価値があるのではないだろうか。その後1Fグルメフロアにある大衆割烹で反省会。


報告・写真:田中(章)

 2019年4月の活動

第166回 企業研究部会
『東京大空襲・戦災資料センター』

4月24日(水)参加者:11名(内ゲスト2名)

 3月の「近代史を語る会」で元少年飛行兵の方より、74年前の東京大空襲後の過酷な焼け跡処理の16歳体験談を拝聴したこともあり、同会の出席者の方にもお声がけして東京都江東区にある「東京大空襲・戦災資料センター」を見学した。1945年(昭和20年)3月10日未明、約300機のアメリカ軍爆撃機B29による東京下町地区を目標にした無差別爆撃で人口過密地帯は火炎地獄と化し、罹災者は100万人を超え、推定10万人もの尊い命が失われた。同センターでは収集されたこの空襲・戦災の文献や物品を展示している。
 まず、東京大空襲のについてのビデオ上映があり、その後東京大空襲の体験者である関野氏より当時の様子をお聴きした。同氏は小学生の時、山形に疎開。しかし、東京に残ったご家族に会いたいという一念で疎開先の寺を抜け出し、汽車を乗り継いで東京まで戻られた。そして、その数日後に東京大空襲があった。氏の実家はまさに戦禍のもっとも大きかった下町地域にあり、伺ったその当時の様子は凄まじいの一言に尽きる。お話後、ボランティアガイドの方々の案内でセンター内の展示を観て廻り見学を終えた。
 以下、今回の参加者の感想を紹介したい。

 「同時代の少年として、被災者たちの恐怖、痛み、苦しみ、悔みに思いした。多くの若い人たち観てもらいたい。」(新村さん)

 「戦災の掲示は、人間の愚かさを究極的に示した事実で抹殺できるものではありません。もし、今後に同じような道を歩む判断の岐路になった時の参考になればと願うところです。」(河村さん)

 「我々世代は過去に何度もTVや映画、書物、写真などで第二次世界大戦や太平洋戦争などの詳細を知る機会があったと思います。最近の若い人たちにはそのような機会が少なく、『戦争』をゲームの中に取り入れた遊び感覚のみで理解しているとすれば、資料センターで写真、絵や模型などに触れ『実際の戦争の悲惨さ』を知る機会があることは非常に大切だと思います。われわれの見学当日、3台のバスで多くの子供達が見学に来ていたことは良いことだと思います。」(塩川さん)

 「センター内の展示物や、説明など今となっては遠い過去のこととなっていましたが、やはり自分も経験した現実であったといろいろ思いださせられました。あの辛かった学童集団疎開、日常的なひもじさ、いまの子供には考えられない霜焼けの痛み、75年も前の事柄が蘇りました。あの日々の体験が私の反戦への原点となっていることにも改めて思い至りました。それにしても東京大空襲という悲惨な出来事をあっけらかんと話すセンターの私と同年配の語り部たちの明るさ、さすが東京の下町っ子の逞しさと感じました。語り部たちにいつまでも元気で大空襲を語り継いで欲しいものだと思っています。」(磯川さん)


報告:新村、河村、塩川、磯川、田中(章)、写真:田中(章)

2019年3月の活動

第165回 企業研究部会
3月30日(土) 15:00~17:00 鎌倉歴史文化交流館 参加者6名

 今回は災害研究部会・企業研究部会の合同企画で「鎌倉 災害と復興」春季企画展を見学した。
 鎌倉のこれまでの災害展示も見られたが、特に、鎌倉の大正関東地震を探求し、同じ地震での鵠沼の被災状況と比較してみた。

<鎌倉文化歴史交流館の展示説明から引用>
 大正12年(1923)9月1日、震度7の烈震が関東南部で発生し、一瞬のうちに鎌倉全域を壊滅させた。11時58分32秒に発生したマグニチュード7.9とされる本震のあと、その3分後の12時01分、さらに5分後の12時03分と、巨大な揺れが3度発生した。
 昭和5年に鎌倉町役場から発行された『鎌倉震災誌』によると、津波高は6m。全戸数4183戸の内、全壊1,455戸、半壊1,549戸、埋没した家8戸。さらに津波による流失113戸、地震直後の火災で全焼が443戸にのぼり、半焼は2戸で死者412名、重傷者341名を数えた。

<「鵠沼を語る会」発行)『鵠沼』第107号より転載>
 大正関東地震(M7.9 震度7)による鵠沼での津波高は2~6m。江の島第1波 3m、第2波 7.1m。別荘地の戸数600戸で全半壊90%以上。津波による流失5戸で、死者47名、重傷者73名を数えた。
夏季は通常、別荘滞在者は1500~2000人だが、この年の海水浴場は8月28日で終了し滞在者は大半が既に帰京していたため被災者数は不幸なことであるが比較的少なく済んだとも言えよう。
 以上のことから、津波は3度来襲し1度目よりも2度目の方が高く被害も甚大であったことが分かる。また、もしも8月中に地震が発生していたならば鵠沼の人的被害は建物の倒壊率90%以上からかなりの被災者が出ていたものと推察される。


報告:柳田、写真:田中(章)

2019年2月の活動

第164回 企業研究部会
『熊澤酒造(株)』

2月27日(水)参加者:6名(内ゲスト1名)

 茅ヶ崎市香川の熊澤酒造(株)を訪問した。同社の経営する蔵元料理のお店「天青」が研究対象である。
 相模線香川駅から徒歩7分、熊澤酒造敷地内には酒蔵を改装したレストラン「天青」、古民家を移築したダイニングレストラン、酒造の歴史を紹介するギャラリー、酒類やケーキなどを販売する店などが点在する。平日のお昼時であるが女性の来訪客が多い。予約客で満席の為、われわれは12時半以降のスタートになった。

敷地内に点在する建物群  女性の来訪者が本当に多い

酒蔵を改装した雰囲気のある店内

早速製品の検討に入る研究会の参加者

発注した製品の品質を吟味する参加者

最後にギャラリーを見学してお開きに


報告:塩川、写真:塩川、田中(章)

2019年1月の活動

第163回 企業研究部会
『おりがみ会館(株式会社ゆしまの小林)』

1月23日 (水)参加者:8名(内ゲスト1名)
 
 新年最初の部会は東京湯島にある「おりがみ会館」を訪問。同館は染紙・千代紙製造の老舗(創業160年)で、日本古来の伝統技術「和紙染め」が認められ、文京区の文化遺産に指定されている。日本の伝統文化折り紙を求めて国内のみならず、海外からもVIPを含む多くの客が訪れている。
 工房では職人の手による和紙染色工程を見学。次に"オリガミ様"とも称される小林一夫館長(国際おりがみ協会理事長)の折り紙創りを拝見し、正に神業とも言える手捌き、鋏使いに驚嘆。折り紙に使用される紙は同館製造の和紙のみならず、何と箸袋、紙ナプキンまで。見学後、湯島天満宮に参拝して解散。


報告・写真:田中(章)

12月の活動

第162回企業研究部会
『カップヌードルミュージアム』

12月26日(水)参加者14名(内ゲスト3名)

 NHK朝ドラ「まんぷく」のモデル安藤百福の発明記念館 横浜「カップヌードルミュージアム」へ見学に行った。
 インスタントラーメンの発明者で日清食品創業者 安藤百福 生誕100周年、カップヌードル発明40周年を記念してみなとみらい地区に開設された記念館である。全館、見て、触って、作って、食べる大人から幼児まで一緒に遊んで楽しめる「体験型ミュージアム」であった。
 カップヌードルのラインナップ展示、チキンラーメンの女房安藤仁子展、百福シアター、安藤百福ヒストリー等を見学した。
 今回は孫二人と参加させていただいたが、孫達は別行動でマイカップヌードル作りを楽しませてもらい、「おじさん達に楽しい話をさせてもらい、優しくしてもらいとても楽しかった」とクラブ員以上に楽しんだようであった。
見学後横浜に戻り、銀座ライオンで反省会を実施した。


報告:池田(雄)、写真:池田(雄)・田中(章)

11月の活動

第161回 企業研究部会
『藤沢乗馬クラブ』

11月28日 (水)参加者:6名(内ゲスト1名)
 探求クラブ員・西脇さんのお勧めにより、善行から徒歩10分の距離にある藤沢乗馬クラブへ。今年で創業45周年を迎えた同クラブは、国内外の大会では常に上位の成績をおさめており、優れた指導スキルには定評がある。現在会員数は約300名で50代が中心だが、女性や小中学生も多いという。
 1階の厩舎では、馬の爪を削り蹄鉄に合わせる作業や馬の体毛を剃る様子を見学。近くで見る馬の優しい目に癒されたひとときであった。その後、室内馬場での乗馬練習の様子をクラブハウス2階から見学した。

報告・写真:田中(章)

10月の活動

 第160回 企業研究部会
『横浜税関資料展示室 クイーンのひろば』

10月24日 (水)参加者:7名
 本年3月にリニューアルオープンした横浜税関資料展示室「クイーンのひろば」を見学。同施設では、開港からの横浜港・横浜税関の歴史を綴るグラフィック年表や貿易の変遷、麻薬やけん銃などの密輸の手口、知的財産を侵害した偽ブランド商品やワシントン条約に該当するはく製や標本等を、映像や実物展示により紹介している。
 更に、税関OBの方の懇切丁寧な説明や体験コーナーでのファイバースコープや金属探知機の使用体験は、税関の仕事に対する理解を深める一助となったことと思う。見学後、中華街まで歩いて反省会を実施。


 

報告・写真:田中(章)

9月の活動

 第159回 企業研究部会
『国立公文書館』

9月26日 (水)参加者:6名
 11:30ごろ、6名のクラブ員が皇居の大手門に集まった。簡単な手荷物検査の後皇居内の二の丸庭園、春日権現験記絵(鎌倉時代の絵巻の名品)展、天守台などを散策してから皇居近くの国立公文書館に到着。館は1階のみの展示場であるが、今回は江戸末期から昭和初期までの歴史的な文書の現物が展示されており、関連の写真やイラストとともに丁寧な解説がある。
 近代史ファンには垂涎の資料館であろう。展示の対象は30年前以前の固有の公文書で、印刷物などは対象外である。(国立図書館と役割を分けている)館の入口には今井綾円という女流書家の大書の「躍動」の文字があり、フラッシュをたくと色が変わる仕掛けがしてある。

皇居内を散策、春日権現記絵にも立ち寄る。素晴らしい絵巻展であった。

国立公文書館内は撮影禁止、入口にフラッシュの有無で変わるトリック絵(躍動)が。

報告・写真:塩川

8月の活動

第158回 企業研究部会
『横浜ベイブルーイング戸塚工場』

8月4日(土) 参加者:5名

 恒例のビール工場見学、今年は戸塚・上矢部町にある横浜ベイブルーイングのビール醸造所を見学。同工場では数種類のクラフトビールを製造している。
 クラフトビール (英語: craft beer) は、英語で「職人技のビール」、「手作りのビール」などを意味する表現で、大手のビール会社が量産するビールと対比して用いられる概念。
 同工場では毎月第一土曜日に工場を一般に開放しており、敷地内にあるスペースで同社の主要商品である「本格チェコスタイルビール」ベイビルスナ―他のビールを味わった。


報告・写真:田中(章)

7月の活動

第157回 企業研究部会
『神奈川県立歴史博物館』

7月25日(水) 参加者:10名(内ゲスト:2名)

 今年リニューアルオープンした神奈川県立歴史博物館を訪問。同館は横浜・みなとみらい線「馬車道駅」から徒歩1分の距離にある。
 常設展示室は「古代~さがみの古代に生きた人びと」、「中世~都市鎌倉と中世びと」、「近世~近世の街道と庶民文化」、「近代~横浜開港と近代化」、「現代・民族~現代の神奈川と伝統文化」という5つのテーマ別に分かれており、ボランティアガイドの方の丁寧な解説は神奈川の歴史の理解を深めたことと思う。反省会は館内にあるレトロな喫茶店「ともしび喫茶」で行なった。


報告・写真:田中(章)

6月の活動

第156回 企業研究部会
『藤沢市議会(本会議傍聴)』

6月18日(月) 11時~12時半頃  参加者:17名(内ゲスト:2名)
場所:藤沢市役所新庁舎 9階会議場&展望室

 市議会本会議の議決、一般質問、当日は途中から入場して2人の議員からの一般質問を傍聴した。粛々と進行され、TV等で見る国会審議とは違った雰囲気でした。またK議員から昼休みを利用して議会の内容や市が抱える課題、新庁舎の説明などして頂いた。
 短時間でしたが有意義でした。


報告:田中(力)、写真:田中(章)

5月の活動

第155回 企業研究部会

クラブ創立25周年記念行事 「世界遺産富岡製糸場バスツアー」を近代史を語る会、似歌会と共に実施。
詳細はコチラ

4月の活動

第154回 企業研究部会
『谷根千散歩~お江戸日本橋亭』

4月26日(木) 09:00~17:00 参加 8名
 
 神田紅佳講釈師の案内で日暮里駅を10時に出発、谷中銀座ではメンチカツ等を頬張り、根津神社では満開のツツジを愛でる。天王寺・谷中墓地・ヘビ道など昼までの谷根千散策は楽しかった。
 日本橋のお江戸日本橋亭で弁当を食べてから、紅佳の講談や三遊亭好楽の落語など6人の演目に4時まで爆笑。  10キロを歩き8時間の楽しみで快く疲れて反省会は無し。

谷中銀座
 天王寺

根津神社1

根津神社2

報告:岸、写真:田中(章)

3月の活動

企業研究部会(第153回)・災害研究部会合同活動

『神奈川県総合防災センター』

3月28日(水) 11:00~12:30 神奈川県総合防災センター 参加者11名(内ゲスト1名)

 3月1日にリニューアルオープンしたばかりの神奈川県総合防災センターを訪問した。自助・共助・公助の説明のあと、各種疑似災害を体験した。

① 地震体験コーナー: ショッピングモールで震度7の地震に遭遇した場合を想定し、目前と左側の大画面に各種
 店舗の様子が映り、揺れと共に展示物が落下したり飛び出して来たりする有様が迫ってくる。もはや立っていられ
 ない揺れに頭を下げ、しゃがんで揺れの治まるのを待つしかない。
 説明によると、店内で地震に遭ったら先ず、周囲を見渡して落下物の無い安全な場所に移ってから頭を守り、動か
 ないことが大事。長い揺れの間、何も出来ないことを体験、先ずは自助が優先。

② 風水害体験コーナー: 最大風速30m/sの暴風を体験。大人男子も掴まっていないと吹き飛ばされる。火災発見
 時には自分の居場所が分からなくても、携帯電話で119番通報すれば携帯電話の基地局情報から消防署側で火災現
 場を判別して駆け付けが出来る。また近くに自動販売機があれば自販機右上に設置場所住所が記載されているので
 消防署に自分の居場所を連絡出来る。

③ 消火体験コーナー:2グループに分かれて画面に向けて消火器で火を消す訓練を体験。
 初期消火が遅れると鎮火が出来ないことを実感した。

④ 煙避難体験:薄暗い煙が充満した部屋を幾つものドアを開けながら出口まで進む体験だが、身を低くして歩くと
 かなり時間が掛かりそう。体験後の説明では、ドアノブが熱くなっていることがあり、触る際は手の平より甲側で
 熱さを感知した方が良いとのこと。

⑤ 防災シアター: 神奈川県内での津波と火山の噴火に関するシュミレーション映像を観た。
 ・津波: 相模湾に震度7、マグニチュード8.7の地震発生を想定。緊急速報、大津波警報が鳴り、ともかく高い所   へ逃げること。津波発生のメカニズムから繰り返し来る津波は後から来た波が重なると、より高い津波になる   時がある。また、揺れは小さくても油断はしないことが大事。
 ・火山噴火: 箱根大涌谷が噴火してレベル5となり噴火、火砕流、火山ガス、降灰の被害を想定。身を守るため   には事前に防災マップでどの地域まで被害を受けるか事前に調査しておくことが重要。

 センターは最寄りの駅から徒歩30分と遠くバスでの訪問だった。各種体験後に平塚までバスに乗り、駅前で恒例の反省会を開き解散となった。

報告:柳田、写真:田中(章)

2月の活動


第152回 企業研究部会
『金井酒造店』

2月5日 参加7名(内ゲスト1名)

 モーツァルトの音楽を聴かせてお酒を造る事を売りにしているユニークな酒造である金井酒造店を見学。モーツァルト好きの奥村が報告します。
 酒造は秦野駅から水無川をバスで10分ほど遡った工業団地の中にありました。創業は明治元年という歴史のある酒造で生産量は年間500石(90,000リットル)とのこと。
 創業より秦野の町中にあったが、お酒に良い水を求めて近年、現在の場所に移転したそうです。
 見学はお若い専務の佐野さんに案内いただき、様々な酒造りのご苦心を聞いた。モーツァルトを聴かせる事による効果については、音の振動によって麹菌の蒸米への定着が活発になるとのことで、麹室で聞かせる事が重要、さらには作業員の心にも作用して、良い酒造りに役立っているとの説明があった。モーツァルトでなければならない理由に納得した。
 見学終了後、全銘柄の試飲をさせて頂き、ほろ酔い気分でこの日の部会を終了しました。


報告:奥村、写真:奥村・田中(章)

2018年1月の活動

第151回 企業研究部会
『新横浜ラーメン博物館』

1月24日 参加7名(内ゲスト1名)

 新年初の訪問先は1994年にオープンした「新横浜ラーメン博物館」。同館は世界初のフードアミューズメントパーク。「飛行機に乗らずに全国各地のラーメンを食べに行ける」がそのコンセプトだ。
 博物館は新横浜駅から歩いて徒歩5分程の距離にある。入口からに入って地下に降りるとそこは「三丁目の夕日」の昭和の時代。時代考証を凝らしたセットの中に全国各地のラーメン店9店が軒を連ねる。館内には他に、嘗て子供たちが集まる社交場としてどこの町にもあった典型的な駄菓子屋を再現した「夕焼け商店」、ラーメンの要素について学べるテイスティングコーナー、ミュージアムショップ等も設けられ、楽しんでもらおうという工夫が感じられる。
 数人に分かれて店に入り味わった後、恒例の反省会は地下1階にある喫茶「Kateko」でレトロな雰囲気を味わいながらまったりと。ということで、普段健康上の理由から炭水化物を控えている私も久々に味を満喫した一日であった。


報告・写真」田中(章) 

12月の活動

第150回 企業研究部会
『SKY MUSEUM(日本航空株式会社)』

12月6日 参加 14名(内ゲスト4名)

 故西元久雄さんが企業研究部会を創設され、第1回の部会(日産自動車追浜工場)が2005年4月27日に行われて以来、3・11の直後を除き、1回の休みもなくこの部会は続けられてきた。
 今月で150回の節目を迎えるのを記念し、見学先として人気の高い日本航空(JAL)の整備工場とそれに隣接する「SKY MUSEUM」を選んだ。
 JALについては、22回目の部会で安全啓発センターと客室乗務員訓練センターを見学したことがあるが、こちらの設備訪問は初めてである。新整備場駅から歩いて数分で整備工場のあるビルに着くが、ここで入館証を渡され、同ビルの3階にあるSKY MUSEUMへ。
 見学内容は、航空教室、展示エリア、格納庫見学の三つに分かれている。
 まず、1951年の会社設立以来、世界の空を切り拓いてきたJALの資料が展示されているエリアを自由に見学。モデルプレーン、皇室・特別フライト、歴代制服など興味深い展示が多い。次に会議室でJALOBの方から飛行機の飛ぶしくみや羽田空港の概要の説明を受ける。最後の格納庫見学では空港に到着してから次に出発するまでの間に飛行機を確認する「運航整備」の一部や、定期的に飛行機を格納庫に入れて時間をかけて行う「点検・重整備」が行われている様子を見る。会社員時代、数限りなく乗った飛行機だが、こうやって下から見上げる機体はやはり迫力がある。
 今回の見学にはクラブ員Iさんのお孫さんお二人も参加された。帰宅後、Iさんから「夕食の時、孫たちがママに楽しかった事を休みなく話しており、非常に楽しかったようでした」との連絡があり、未来の探求クラブ員(?)にも喜んでもらえたようだ。
 西元さんの遺志を受け継ぎ、この部会が更に続くよう頑張りたい。


報告:田中(章)、写真:奥村、田中(章)

11月の活動

第149回 企業研究部会
『いすゞプラザ』

11月22日 参加 17名(内ゲスト5名)

 日本の物流を支えるトランスポート輸送機器の一大拠点「いすゞ自動車・藤沢プラント」に隣接して同社の車輌ユーザー・一般向けの情報発信拠点としてこの春に白亜の展示場と併設レストランが開業した。大型メーカーでの唯一の独立系としての好業績を反映しての施設で、他にも工場建物・施設等の新設他が重なり下土棚周辺の景色が一変した様相だ。
 乗用車メーカーは身近な存在であるが、大型車となると異次元となってしまい四メーカーの社名すら口に出来ない。そんな人達に「いすゞ自動車」をアピールする施設「いすゞプラザ」を見学した。
 落ち着いた雰囲気のエントランスホールに美しくレストアされた「ウーズレー トラック」は、フォード車A型車の足廻りと機構的に大差ないものを備え、まずは米国車のコピーから始まったようだ。次のCPコントロールのトラックジオラマは圧巻だ。規模もさることながら救急搬送で出場から病院到着までを演出してビックリ。陸上自衛隊向けトループキャリアーの運転席は誠に素っ気ないメーターパネルとレトロな灰皿ではあるが、クラッチはオートマチックトランスミッション化されており、これなら小生も東富士の演習地でオフロード走行が楽しめそうだ。ブロックタイヤとリダクションハブでハイリフト化されており悪路走行の際に何の障害も無く乗り越える無敵の四駆である。海外での活躍は無いことを祈る。
 小生の小学校の工場見学に訪れた時は、藤沢では「べレル」「ベレット」の乗用車が流れていたが、国策から「117クーペ」等の名車を最後にトラック専業メーカーになり、いすゞに乗用車があったことを知らない人が多数となって久しい。2階展示場にはそんな人達とロートルにリマインドする意味でヒストリックカーとなっている乗用車が動態保存されていた。若い頃にドライブした人には絶滅種となった車を前に往時の想いでに浸れた一時だった。
 タイ国にはピックアップトラックのマザー工場があり、そこで作ったクロスオーバー車「ミューⅩ」が展示されており、擬装は日本同等の出来栄えで販売すれば・・・それなりに行けそう。因みに米軍の「ハンビー」の6ℓエンジンはいすゞの技術で作られ、イラクでのIS退治に活躍?苦戦?している。
 たちまち2時間の見学時間を終え夫々の胸の中に良好な「いすずブランド」イメージを抱いて記念撮影して、朝と同じスーパーハイデッカー車「ギガ」の12気筒・エアサスリムジンにそっと包まれ現実の世界「湘南台駅」へ。この後は当然、天国に一番近いお店に。



報告:守谷、写真:田中(章)

10月の活動

第148回 企業研究部会
『NHK放送博物館』

10月25日(水)11:30~12:30 参加10名(内ゲスト2名)

 NHK放送博物館は、東京・港区にある愛宕神社の隣地にある。かなりな階段を上ると着く。
 同館は4階建て。各階はライブラリーゾーンとかヒストリーゾーンなどテーマ別に分けられていて、放送に関する様々な資料が展示されている。
 私は現役時代、ある民放に勤めていたので、放送の歴史や放送機材などの展示は大変興味があり楽しみにしていた。館のあちこちで若かったころの懐かしい光景が拡がっていた。
 3階のヒストリーゾーンでは「『』の文字のテレビ画面」が目に飛び込んできた。この「」は思えば私の人生を決めたような文字だ。展示の説明にあるとおり、当時、浜松高等工業学校(静岡大学工学部の前身)の教授をしていた高柳健三郎が1927(大正15)年12月25日にテレビの受像に成功した最初の画面なのだ。この日は奇しくも大正天皇崩御の日だった。時代が入れ替わる瞬間だったのかも知れない。
 「『』の画面」についてのいきさつを中学生のときに科学雑誌で読んで、将来理科系に進みたいと興奮したことをよく覚えている。理系の大学に入ったものの就職先は民放の文系の一般職だった。しかし、テレビやラジオの現場の仕事に関わるなかで、文化勲章受賞者の高柳健三郎博士にお目にかかる機会があった。「『』の文字」のことを少しだけお話しいただいた。
 同じフロアには昭和15年に始めてテレビドラマが制作放送されたことを語るコーナーがある。ドラマのタイトルは「夕餉前」出演者3人、放送時間は12分というささやかな番組だった。日本のテレビは戦前すでに、テレビドラマを制作、中継・実験するまでに成長していたのだ。このことについては「紀元2600年のテレビドラマ」(森田創著:講談社刊)という本に詳しく語られている。
 しかし、翌昭和16年太平洋戦争に突入、そして敗戦、米軍の占領下におかれるなどして日本のテレビは長い間挫折していた。
 1階のウエルカムゾーンでは、あの「デンスケ」と出っくわした。
 昭和35年5月、新入社員の私は、東京支社報道課に配属された。
 ときは60年安保闘争の末期、国会周辺は「アンポッ、反対!」のデモが渦巻いていた。私はシュプレヒコールを叫ぶ人たちのなかにいた。肩掛け手動式のテープ録音機をかついで人々の声を録音して歩いていた。重さは8㎏以上ある。これがデンスケとよばれ、あのころ録音取材に使われた携帯録音機である。
 人々は、私のマイクをつかみ取っては「私は医者だ。世田谷から出てきた」「わたし、主婦、いても立ってもいられなくて」。5インチテープは15分しか録音できない。気がつけば、テープは巻き取られ、からからとから廻りしている。マイクはコードの向う端まで延びきっていて、誰かが何かしゃべっている。全てが興奮の渦だった。
 あれから57年、あのデンスケが博物館の陳列棚に静かに展示されている。薄いグレイの塗装がはげかかっているところもある。堅いものに当たったような傷もついてる。
 誰かが「あのレバーでゼンマイを巻いてテープを回すんだろうけど、録音用の電源はどうしたの」と聞く。
 「うん?なんだっけ。急には思い出せないなぁ」
 遠い昔のことだ。このデンスケを担いであちこちに出かけては録音構成を作ったり、記者会見を録音したりした。あのとき電源が切れて困ったという記憶がない。どうして録音できたんかなあ。
 帰宅後調べてみたら、単1マンガン電池を3本使っていたことがわかった。
 若くて元気だったあの頃でも一日中デンスケを担いでいると肩が痛んだものだった。



報告:磯川、写真:田中(章)

 9月の活動

第147回企業研究部会
『企画展 モースと相模湾の生き物(日本大学生物資源科学部博物館)』

9月27日(水)11:00~12:00 参加者9名(内ゲスト2名) 

 日大生物資源科学部博物館は企業研として昨年2月に続いて2回目の訪問となるが、今回はモース研究会の会員である西野さんのお勧めにより、期間限定で開催中の「モースと相模湾の生き物」と題した企画展を見学。
 大森貝塚の発見で著名なエドワード・シルベスター・モースが1877年に来日してから今年で140周年。同氏はわが国の動物学、考古学、民俗学などの基礎を作ったことでも知られ、自身の研究(シャミセンガイなど腕足動物の分類学、系統進化)のフィールドとして江の島に太平洋側では世界初となる臨海実験所を構えた。
 本企画展では、同氏の多岐にわたる優れた業績、同氏と縁の深い相模湾の生物相の豊かさ及び同氏の愛した日本の明治の文化や郷土について紹介されており、興味深い。
 企画展見学後、博物館に隣接する本館の13階に上ると眼下には相模湾を望む素晴らしい眺望が広がっていた。

      展示物写真はクリックで拡大


報告・写真:田中(章)

8月の活動

第146回企業研究部会
『川崎市平和館』

 8月23日(水)川崎市・武蔵小杉にある「川崎市平和館」を訪ねた。参加者9名+ゲスト1名。
 久し振りのかんかん照りの真夏日。駅ビルを出るとたちまち猛暑に咬みつかれた。10分ほど歩いて到着。
 平和館では「平和とは、全ての人間が暴力や差別、貧困や環境破壊に脅かされず安心して生活できる」との考えからいろいろな展示がなされている。もちろん戦争に関する展示が多岐にわたっている中で、人間にもたらす暴力として、環境破壊、貧困、差別などがパネルや、ビデオ展示されている。
 普段あまりにも平穏無事な日々を過ごしている私は、改めて「平和とはなんだろう?」という問いかけに戸惑いながらそれぞれの展示を読んで、見て、感じて廻った。
 壁面には、所々にいろいろな国の戦争に関する格言も展示してある。
 「質の悪い平和は高潔な戦争に勝る」(ユダヤ)とある。これは哲学だ。
 一番強烈な印象を受けたのは、やはり戦争に関する展示だった。なかには防空壕の展示もあり、かつて自分が潜り込んだ防空壕をいきなり思い出した。あれはこんなに立派なものじゃなかった、これだったら爆撃にも耐えられるかな。
 そうだ、防空壕といえば悲しい出来事があった。幼友達のマーちゃんが自宅の床下の防空壕で爆弾の直撃を受けて死んだ。私は集団疎開中で、後から聞いた話では、マーちゃんとその家族の肉片が近所の家々の屋根に飛び散っていたということだった。
  1階の屋内広場というほんとに広い場所で、8月の企画として、「原爆展」を開催中だった。ヒロシマの原爆に焦点を当て、原爆被害の状況の写真パネルと被爆現物資料がところせましと展示されてあり、改めて原爆被害の悲惨さを確認した。
 この日の参加者で戦時体験のある人はごく僅かだった。平和館を出たときある人が「玉音放送を聞きましたか」と聞いた。疎開先の国民学校の校庭で聞いた玉音放送は9歳の子供には理解できなかったこと、大人たちも戦争が終わったのか、続けるのかはっきり理解できなかった、と答えた。この日のように物凄く暑い日であったことを鮮烈に覚えているのみだ。
 戦争が終わって、疎開先から大阪市内の自宅に帰ったころ、父が「戦争でどんなことになったか見せてやろう」と天王寺動物園近辺をつれ廻ってくれたことがあった。少し小高くなったところの足元から辺り一面瓦礫の焼け野原が大阪湾まで一望の下に見渡せた。よく晴れた日で秋の涼しい風が通り抜けていた。瓦礫のはるか向こうの大阪湾が夕日をうけてきらきらと眩しく映えていた。静かだった。大阪湾に煌めく夕日、あれが今日の平和の第一歩だった。


報告:磯川、写真:田中(章)

7月の活動

第145回企業研究部会
『株式会社 横浜ビール

7月26日(水) 11:00~13:30 参加者12名(内ゲスト1名)

 キリン、サッポロ・・・など大手のビール工場の見学はほとんど行き尽くし、原料も製造工程も良くわかっているのに「今さら何を」、と思いながら梅雨明けの雨の中(笑)、傘をさしながら12人(東京からは1人参加)は横浜の街中に向かいました。辿りついた所は横浜の桜木町や関内の繁華街の中でした。ビール工場といえば地価の(かつては)比較的安い場所で、ふつうは広い敷地と大きな建物が常識なので、こんなビジネス街や飲み屋街に近いところには到底ビール工場などは「とてもとても」と考えていました。

 5~6階建ての小さなビルの地階から2階までを借りて、1階、2階はレストラン、そしてビール醸造所は地階が中心のこじんまりとした工場でした(1階の一部にタンクがあり)。我々見学者は工場の広さの制約から、6人づつ二組に分かれ、説明には製造の責任者らしい人が一人つき、我々のしつこい、立ち入った質問にも丁寧に応対してもらいました(安倍さんもこの丁寧さを真似すれば良かったのに、と思ったのは私ひとりだけだったでしょうか)。

 工場見学も恙無く終わって、いよいよ楽しみの昼食です。ビール工場見学といえば見学終了後のビールの試飲です。「今さら何を」の意味がここではっきりします。もちろん神奈川県内で有名な地ビールメーカーが、大手と異なってどのようなものか、を知りたいとの好奇心を満たすことも大事ですが、やはり飲み助の12人は、旨い地ビールを無料で何杯も楽しめるだろうという期待で胸をふくらましていたことも事実でしょう。しかし・・・・。
 近所に働くサラリーマンたちで込んできたレストランで、洋食のランチを食べながら飲んだ330cc 800円、500cc 1100円のビールはこの上なく美味しく感じました。やはり自分の懐を痛めて飲むビールは、特徴ある横浜地ビールの美味に加え格別の味がしました。ちなみに私が飲んだビールは、神奈川県山奥の道志地域から運ばれた水を使用しているとのこと、ビールには珍しくフルーティな味がしました。是非お飲みになることをお勧めします。
お昼過ぎに工場見学と昼食は終了、解散しました。

 部会長とこの会社の経営者がお知り合いということで特別に取り計らってもらった今回の見学、私にとって初めての地ビールメーカーの見学では、流れ作業のような、通り一遍の説明が普通の大手ビールの見学では聞けない多くの疑問について納得いく回答をもらってとても満足しました。


報告:嶋村・写真:田中(章)

6月の活動 (5月実施)

第144回企業研究部会(近代史を語る会との合同企画)
『迎賓館赤坂離宮見学』

5月25日(木) 12:30~13:30 参加者39名(内ゲスト15名)

 この建物は最初東宮御所として明治42年に建設されましたが、その後世界各国の国賓、公賓をお迎えする迎賓館赤坂離宮として改修され昭和49年に完成、国宝になっています。
 入館に当たっては厳しい手荷物検査があり、廊下の壁等には一切手は触れられず、豪華絢爛であるが落ち着きのある本館の彩鸞の間、花鳥の間、羽衣の間をじっくり見学できました。どの部屋も壁、天井、絵、カーテン、シャンデリア等素晴らしい装飾で、テレビで見るのとは大違いで感動しました。
 最後に国宝の噴水池のある主庭を見ました。毎日大勢の見学者があるそうです。


報告:伊藤、写真:田中(章)

5月の活動

第143回企業研究部会
『株式会社ディスコ本社』見学

5月12日  参加者7名

 谷村さんのご紹介により株式会社ディスコ本社(大森)を見学。株式会社ディスコは業界以外ではあまり知られていないが、半導体製造時に使用する微細加工(切断、切削、研磨)装置の世界マーケットのシェアが8割のトップメーカー。 本事業所は本社部門と研究・開発部門、それとサービス部門が一体化されており、事業説明と、製品のデモを見せて頂けた。
 トップメーカーを維持するためには常に新技術の開発に挑戦し続けなければならないと思うが、そのための経営理念、社員を活性化するための諸施策まで紹介して頂けた。その結果、あるアンケート調査では働きがいのある会社ランキングで4位になった事があると聞き、驚かされた。技術面では30cmのレコード盤に似たシリコンウェハーを5ミクロンの厚さまで薄く削ることができる。或いはシャープペンの芯の断面を846分割出来る精密切断加工技術にも驚かされた。
 決して大きな企業ではないが「物作り大国日本」を象徴する会社であると感じた。
 谷村さんの旧友である溝呂木会長を始め、4人の若い人たちにプレゼンテーションと見学案内をして頂いた後、社内のレストランで会食。計3時間ものおもてなしをして頂き、感謝して解散した。

金属とは思えない紙よりも薄く削られたシリコンウェハー

報告:奥村、写真:奥村・谷村 

4月の活動

第142回企業研究部会
『株式会社鎌倉ハム富岡商会 本社工場』

4月27日  参加者10名

 明治33年創業以来、今も変わらず鎌倉の地で当時の技術を受け継ぎ、伝統製法を守り続けている鎌倉ハム富岡商会の本社工場と歴史資料館を見学した。
 「鎌倉ハム」は英国人ウイリアム・カーティスが鎌倉の地でハム作りを始め、その後日本人へ伝わり多くのハム製造者が出、発祥の地名を冠して「鎌倉ハム」と呼ばれるようになった。
 「鎌倉ハム富岡商会」は富岡周蔵が明治31年に創業した弁当の製造販売「大船軒」のハム製造部門を独立させ明治33年に設立された。現在の工場は3代目の工場であり昨年6月に完成したきれいな工場であった。製造工程は当時の技術を受け継ぎ、伝統製法を守り続けている。
 磨き(ナイフで不要なスジ、脂肪、軟骨を除く)⇒漬け込み⇒布巻⇒燻煙⇒包装と続く工程のうち磨き、布巻、包装工程の見学をした。
 最後に3種のハムを試食し、お土産をたくさん買って帰った。


報告:米今、写真:田中(章)

3月の活動

第141回企業研究部会
『横浜中華街 揚州飯店 本店』

3月22日 参加者9名(内ゲスト1名)

 横浜中華街の「揚州飯店本店」において「肉まん・餃子づくり」を体験。
 餃子は家庭で作った経験はありますが、「肉まん」は初めてで、もう具はすでに出来上がっていて、私達がすることは皮でうまく具を包み込むことだけです。しかし、まんじゅうのような皮を延ばして肉まん特有の形状であるヒダを螺旋状にするのが大変むずかしく、作ったのは1個きりで再チャレンジが出来ないのが残念でした。H氏は店の方から上手だと褒められ皆さん感心しきり。
 餃子は家庭で作るのと大きな違いは皮を付けるために水を使いますが、今日は水無しで一度付いたら離れません。水を使わずに皮を合わせ付けることが家庭で作る場合と大きな違いでしたが、これは店で直前に作った新鮮な状態のためとか。また中国では蒸して食べるとのことで日本との違いが分かりました。
 肉まん、餃子共に皆さん何とか出来上がり蒸して美味しくいただきました。もちろんコース料理も楽しみました。   
 今回期待したのは、肉まん・餃子の具及び皮の作り方の実習をするのかなと思っていましたが、やはり店特有のノウハウの伝授は無理でした。その後は少し中国語について受講し日常会話、横文字を表現するとどうなるか等、頭の体操と、楽しく時間を過ごすことができました。


報告・写真:池田(雅)


2月の活動

第140回企業研究部会
藤澤市浮世絵館
(常設で辻堂駅北口徒歩5分ココテラス7階)

2月22日 参加者14名(内ゲスト2名)

 学芸員から館の成り立ちと藤沢の町の歴史と浮世絵収集の関連について説明を受ける
 浮世絵の収集の切っ掛けは、市制40周年(昭和55年)の記念に寄贈された江の島を題材にした作品(約50点)であった。この寄贈を機に、東海道の藤沢宿、遊行寺の門前として栄えた町を題材にした浮世絵や関連資料を収集。その浮世絵の数1500点にも及ぶとのことです。
 昨年7月にオープンして企画展示は今回3期目で、以降その都度順次展示していくとのことです。
 浮世絵を絵画として観れば当時の人々の夢とか暮らしぶりが表情豊かに独特の特徴ある表現で表されており改めて魅了されます。
 版画技巧の面から観てみると、絵師の筆遣いを忠実に彫り表す彫師の技術、又絵師の意趣を色と摺り方で表現する刷りの技巧の精緻さに驚嘆を覚えると思います。
 特別に(普段は土日)浮世絵すり体験を我々のメンバー何人か経験させて貰っていました。
 今回は、様子見で覗いた程度ですが、改めてじっくりと鑑賞してみたいと思いました。


報告:河村、写真:田中(章)


1月の活動

第139回企業研究部会
『泉橋酒造株式会社』

2017年1月19日(木) 参加者7名
海老名駅より徒歩20分の泉橋酒造は創業160年、酒米栽培、精米から醸造、地下水採取と極力自家製にこだわった酒造りをしている。
見学後利き酒は自家製の肴と5種のお酒で楽しんだ。見学者は総勢28名。1時間半のツアーであった。
当主は酒米を育てる田んぼから精米設備、酒造所内部を詳しく案内してくれた。
今回の酒造ツアーは参加費が一人1,500円であった。

広大な酒米用の水田 水田を前に社員から詳しい説明が

おつまみ付き利き酒セット

総勢28名、1,500X28=42,000円の見学会

報告・写真:塩川


12月の活動

第138回企業研究部会
『三菱みなとみらい技術館』

12月28日(水) 参加者14名(内ゲスト2名)  
みなとみらい駅近くにある三菱重工が1994年6月に設立した技術展示館で、MRJのフライトシミュレーションを体験する展示や、深海6500mまで潜水可能な「しんかい」の模型、深海の地中掘削を行う地球深部探査船「ちきゅう」等を見学。熱心なクラブ員の質問に案内の西村さんも感心しきり。
ランドマークタワーのビール店で反省会、解散となった。

写真はクリックで拡大


報告:柳田、写真:田中(章))


11月の活動

第137回企業研究部会
『味の素株式会社 川崎工場』

11月24日(火)参加者10名
             
まだ紅葉も終わらないこの時期に都心では54年ぶりに初雪が舞う寒い日でしたが、川崎市川崎区鈴木町にある味の素の川崎工場を訪問しました。
同社は創立1914年で、うま味成分グルタミン酸ナトリウム(味の素)を鈴木三郎助が工業化に成功して造られ、敷地面積約10万坪を有する会社です。
見学館に到着すると「アジパンダ」のゆるキャラとガイド嬢に迎えられました。
見学は①「味の素」コース・②「ほんだし」コース・③「Cook Do」コースの3コースあり、我々は③のコースを選択し、初めにうま味と共にあった日本人の食の歩みを360度の大スクリーンで体感してからバスで移動して実際稼働している工場を見学、その後バスで工場敷地内を廻って再び見学館に戻りました。
素敵な調理室に案内され、赤いパンダの図柄のエプロンとバンダナを着用しましたが男のエプロン姿もお似合いでした。スープに味の素を入れてうま味体験と実際に「Cook Do」回鍋肉(ホイコーロー)の素を使って調理と試食を行い、楽しい時間を過ごすことが出来ました。また、製品のお土産まで頂いて感謝しながら帰路につき、京急大師線で川崎に出て、恒例の反省会を居酒屋で実施後解散となりました。


報告:東田、写真:奥村、田中(章)


10月の活動

第136回企業研究部会

『築地市場』
10月25日(火)参加9名

 妙齢にふられ8人JR不安てきちゅう新橋ではや7人の迷子いで築地場外うろうろと途中1名追ひついてやうやう揃ふきゅう人でいざ場内に討ち入らむぴーちくぱーちくチャイニーズおしあひへしあひジャパニーズ押し出されたる場外の穴場といへる鯨やで赤身本皮立田揚げさらしベーコン酢みそ和へ終戦直後のしつらへのその名もくぢら「登美粋」に酔いしれたるは約9人もっと詳しく見たければ次なるホットコーナーへいざいざ行かむ秋の暮。

ホットコーナー
    大トロに眼差し熱きチャイニーズ
   店仕舞ひ鮪のかぶと山となし
   先づ一杯しらすくぢらの酢みそ和へ
   ベーコンはくぢらに限る戦後っ子
   探求の選抜九人くぢら喰ひ

  ちょっと早いんですが「鮪」も「鯨」も冬の季語です。 


報告:まさひさ(野口)、写真:塩川・奥村・田中(章)


9月の活動

第135回企業研究部会

『慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)』

9月28日(水)参加者19名(内ゲスト2名)

当日は学生の登校時間帯を避け集合時間を当初予定より30分繰り下げ出発した。小田急湘南台駅から2両編成の新型バスに乗車し慶応大停留所で下車。そこで慶應大学大学院政策・メデイア研究科上席所員の原悠樹さんと合流した。

ここから原さんの案内で先ず学内の看護学部校舎、病院建築現場を見学し健康の森や隣接する竹林を見物した。その後企業家支援・ベンチャー企業支援施設等や広々とした敷地内の環境情報学部・総合政策学部校舎等をみてから教職員食堂にて昼食を摂った。暫く休憩の後大学院の研究棟を見学、その中の教室にて原さんの研究内容を詳細な資料に基き拝聴した。校舎前にて参加者全員記念写真を撮り一先ず解散した。

その後希望者10名は小出川の彼岸花を遠目で眺めながら盛岩寺に向かい築90年余の古建築-昭和文化館を中津川和尚の説明で見学の後バスで湘南台駅にて解散したが健康部会なみの強行軍でした。




報告:北村、写真:田中(章)


8月の活動

第134回 企業研究部会

『ヱビスビール記念館』

8月24日(水)参加者10名

 ヱビスビール記念館はヱビスビールの恵比寿工場跡地に出来た「恵比寿ガーデンプレイス」の一角にあり、JR恵比寿駅より多少離れた場所にあります。しかし動く歩道により移動できますので8月の暑さのなかでも汗をかかずにたどり着く事が出来ました。1人500円の入場料を支払うと、当クラブ竹村さんのご紹介により端田晶館長のお出向えを受け、館長による特別ガイダンスがありました。その後、担当のうぐいす嬢により展示品の案内を受けました。

 展示品はヱビスビールの歴史を紹介するもので、なんと創業が明治22年との事、当時より鯛を抱えた恵比寿さんが商標になっていた事、当時は栓がコルクで王冠になったのは明治45年で、明治32年には恵比寿ビヤホールが日本で初めて開業した事等を学びました。ちなみに「ビヤホール」はそのとき出来た和製英語だそうです。
 創業時は原料も、設備も、技術者も、本場ドイツからそのまま移転したそうで、明治の人々のパイオニア精神に触れることが出来ました。

 見学を終了後は待ちに待ったビールの試飲です。ココでも正しいビールの飲み方を教えて頂き勉強になりました。
最後は恒例の反省会を「ライオン」で飲み方のおさらいをした後、解散しました。

ヱビスビール1 記念館入り口 ヱビスビール2 発売当初のラベル

ヱビスビール3 恵比寿ビヤホール模型

ヱビスビール4 恵比寿駅と恵比寿工場

館長の特別ガイダンス

待ちに待った試飲


報告:奥村、写真:奥村・田中(章)


7月の活動

第133回 企業研究部会

『樫尾俊雄発明記念館』

7月28日(木)参加者7名

 関東でも漸く梅雨明けとなったその日、我々は東京・世田谷にある樫尾俊雄発明記念館に向かった。小田急線・成城学園前駅で下車、閑静な住宅街を15分程歩いて、カシオ計算機株式会社名誉会長であった樫尾俊雄氏(1925-2012)の自宅を改装した記念館に到着した。
 内装や建築など、細部にわたって妥協のない注文を建築家につけたという建物の内部は、趣深い洋館風の造りで、晴れた日にはダイニングから富士山が望めるとのこと。内部は樫尾氏が兄弟とともに発明した世界初の小型純電気式計算機「14-A」が展示されている「発明の部屋」、氏の開発思想を受け継ぎ、後継者が進化させた電卓の「数の部屋」、氏が発明のために寝食を忘れてこもった書斎「創造の部屋」、進化を遂げてきた腕時計の数々の「時の部屋」、電子キーボードやデジタルギター、電子管楽器等などの「音の部屋」に分かれている。各部屋では当時のカシオのTVCMを懐かしく見せて頂いた。
 探求クラブの多くの皆さんもカシオの製品にお世話になったことだろう。「発明は必要の母」と言い続け、電子立国を創り上げた樫尾氏の偉大な業績に感銘を受けた一日であった。


報告・写真:田中(章)


6月の活動

第132回 企業研究部会

『ふじさわ宿交流館~グリーンハウス見学』

6月22日(水)参加者10名

 JR藤沢駅北口から徒歩で14分、藤沢の歴史や文化に触れ、人々が交流できる場として藤沢橋近くに今年開館した藤沢市ふじさわ宿交流館を見学した。
 同館は1階が郷土資料展示室・多目的ホール、2階が2つの会議室から成っている。郷土資料展示室では東海道五十三次や藤沢宿などに関する様々な資料(弁当箱、火打ち、箱枕など)が展示されている。ジオラマ、CG映像を観て、当日の藤沢宿がいかに栄えた場所であったかを知り、当時に想いを馳せた。
 この交流館から藤沢本町駅まで歩き、電車で隣の善行駅に行く予定であったが、天候も良かった為、徒歩でグリーンハウスのある県立体育センターに向かった。
 センターのグリーンハウス内にある玉屋食堂で昼食を取った後、善行雑学大学代表の宮田英夫氏よりこの歴史的建造物についての説明を受けた(同氏は2011年に『グリーンハウス物語』という書を出版されている)。
 グリーンハウスは昭和27年(1932年)に開設された日本を代表するチャンピオンコース・藤澤カントリー倶楽部(昭和18年閉鎖)のクラブハウスとして建設された。日本の建築史上高名な建築家アントニン・レーモンドが設計した建物で、現存する「日本最古のクラブハウス」である。藤澤CCは雄大なスロープに冨み、南北は現在の聖園女学院から体育センター・亀井野に至り、東西は善行大橋際から立石までの広大なものであった(東京ドーム16個強)。


報告・写真:田中(章)


5月の活動

第131回 企業研究部会(近代史を語る会との合同活動)

『憲政記念館と国会(参議院)見学』

5月12日(木)  参加者19名(ゲスト5名)。

企業研究部会と近代史を語る会合同で東京の憲政会館と国会(参議院)の見学会を行った。コースは憲政記念館入り口に11時集合。
憲政記念館は昭和35年(1960年)に明治以来の憲政の功労者、尾崎行雄を顕彰して建てられたもの。昭和45年に議会開設80年を記念して名称を替え今日にいたっている。
会館は国会議事堂や国会図書館の近くにあり広い敷地の緑豊かな中に建っており、明治以来歩んできた憲政の歴史の資料や写真が豊富に展示されていて、近代史を学ぶ者にとって一度は尋ねてみたかったところである。
このあと、第一議員会館に移動して昼食。14時から国会議事堂(参議院)見学。見学はコースになっており、職員の案内で説明があり、閉会中の議事堂内を見学後表面の玄関前に出て記念撮影。ここで一旦解散。
多くの方は国会図書館見学へ。真夏並みの暑さだったが、さわやかな風が通り、国政というものを身近に感じた一日だった。


報告:佐藤、写真:田中(章)


4月の活動

第130回 企業研究部会(災害研究部会との合同活動)

『そなエリア東京(東京臨海広域防災公園)

4月1日(金)10:45~11:30 参加者:11名(ゲスト1名)

首都圏で大規模な地震災害等が発生した時、国や地方公共団体等の緊急災害現地対策本部が設置されるところで平常時には防災体験や学習が出来る設備を見学。
地震発生後72時間の生存力を付けるための体験学習ツアーに参加。
参加者全員にタブレット端末が配られ、10階建てのビルのエレベータに乗って1階へ降りる途中で地震に遭遇するところから始まり、1階の暗闇を抜けて各種店舗が被災している街中をクイズを解きながら脱出するというもの。タブレットの操作に気を取られ、余り正解を覚えていないのが気掛かり。
首都直下型地震のシミュレーション映画では重いコピー機が揺れに合わせて部屋中を滑る様子は恐ろしさを感じる。食器棚の倒壊や滑りやすい家具類の固定化の大切さを感じた。
防災体験後は有楽町で昼食を取り、4月3日まで延長された皇居内乾通りのお花見に出かけ、ボディーチェックを無事通過し、途中から嶋村さんも加わりほぼ満開の桜を満喫。
平日なので込み具合もそれほどでも無く、新緑の木々やお堀の風情も楽しめた。
東京駅で恒例の反省会をし、帰路に着いた。


報告:柳田、写真:柳田・小山


3月の活動

 第129回 企業研究部会

『クノール食品本社(川崎事業所)』

3月23日(水) 参加者 9名

川崎市高津区下野毛にあるクノール食品株式会社の川崎事業所を訪問した。
「クノール」は、ドイツの発明家カール・ハインリッヒ・クノールが、1885年にスイスに設立した小さなスープ工場から始まり、1958年、味の素の全額出資により日本法人が設立された。
我々はJR武蔵小杉駅でバスに乗車、15分程で本社に到着したが、まずその広大な敷地に驚く。同社は川崎の他、北海道、静岡、三重にも工場があるが、川崎事業所ではカップスープとコンソメを製造している。見学は会社概要説明から始まり、工場見学用ビデオ上映の後、同工場で製造のスープ5種類を試飲した。流石、長年研究と開発を続けてきたクノールの製品だけあってどれも美味しい。その後、実際のスープ製造工程を見学、同社製品を購入して帰途についた。


報告・写真:田中(章)


2月の活動

第128回 企業研究部会

『日本大学 生物資源科学部』

2月24日(水) 10時05分 小田急藤沢駅集合 参加者8名
               
 時々電車の沿線から見える日大校舎へ是非行ってみたいという願いが叶い、六会日大前駅より徒歩3分のキャンパスを訪ねた。正門を入るとすぐ正面左に目的の「博物館」があるが敷地内に小学校、高校、グランド、農場などなど東京ドーム何個分かは不明なれど広大な敷地にまずビックリ。
 さて館内には牛、馬などの家畜、クジラ、キリンなどの野生動物、また鳥類などのそれぞれの骨格、はく製標本のコーナーがありまた別の場所には古くからの農機具やら木材をテーマにした森林コーナーなど種々展示されている。 ガラスケースを通さない本物の質感、迫力を感じさせる展示であり出来れば感受性の強い孫達を連れてきたい博物館であった。次は敷地内のはずれにある「生物環境科学研究センター」で「ビオトープ」という人工池を中心とした実験農園を見学した。種々説明を受けたがボケた頭には浸透せずここは割愛させていただく。
 帰りは駅前の今にも潰れそうな?叔母ちゃん一人でやっている居酒屋さんで遅い昼飯となった。


報告:田中(力)、写真:田中(章)


1月の活動

第127回 企業研究部会

『深川江戸資料館』

1月27日(水) 参加者 13名+ゲスト2名

 1月27日、9時前に藤沢駅に集合、14人で上京。9時過ぎの電車だというのに勤め人らしい人で電車は混雑、座るどころではなかった。新橋、三越前と乗り替えて凡そ1時間後に清澄白川駅に漸く着く。現地で1人加え合計15人となった。
 今日の目的地は「深川江戸資料館」、ここでは江戸後期~明治初め頃の深川の街の一角(商店、長屋数軒や路地、井戸、火の見櫓など)を4階建てくらいのビルの中に再現している。案内のボランティアさんは10数年前に鎌倉に住んでいたということで、我々に親しみを持ってもらったおかげもあり、とても丁寧に説明してもらう。
 当時の庶民生活は、現代と比べ確かに貧しいようだが、江戸後期という時代を考えると西洋社会よりも清潔で安全な生活を送っていたように見えた。館内では臨場感を与えるため、猫や犬の鳴き声が聞こえ、火の見櫓の半鐘の音が時折鳴ってサービス満点である。長屋の部屋の区切りは四畳半や六畳程度で、衣装箪笥などはもちろんなく、僅かな広さの土間にかまどや米櫃、水桶などが所狭しと占領している中(桶や天秤棒などの商売道具も置いてあった)での当時の生活を想像すると、今の時代は随分と空間を贅沢に使っているものだと、長屋の狭さが印象深かった。
 資料館での時間はアッという間に過ぎてお昼ご飯の時刻となった。昼食は当然に江戸前アサリの「深川めし」(アサリの炊き込みご飯)、か「深川丼」(アサリの汁のぶっかけ飯)。近くのあさり専門食堂で全員「深川丼」を賞味する。今は無くなったアナゴのどんぶり「品川丼」は高級、比して「深川丼」や「深川めし」は漁師の食べ物で、同じ江戸前の食材でも、アサリは随分と安かったのだろう。そしてここの「深川丼」はアサリがタップリ入り、食べ飽きてしまうほどであったが、ビールや日本酒にはぴったりの肴であった。
 今回の部会の正式な活動はここで解散。しかし、折角、お上りさんとして上京したのだから、というわけで有志の暇人そろって近所を散策することにした。
 先ずは清澄庭園。ここは江戸時代に大名から紀伊国屋文左衛門に、次に岩崎財閥に渡り、そして現在は東京都のものなっている池をめぐる回遊式庭園である。小春日和の眠くなるような陽射しの中での散策は、お昼のビールが残っている体に心地よい。
 次は門前仲町へ。江戸三大祭りの一つ、富岡八幡宮や深川不動尊がある。因みにあと二つは神田明神、浅草神社(三社祭)である。われわれ善男善女はそれぞれ自分の気に入った方へお賽銭をいれ(両方入れた人もいるが)、安上がりで時間も短い効率的な願掛けをした。ここで本格的に解散。三々五々藤沢に帰った。お疲れ様でした。


報告:嶋村、写真:田中(章)


12月の活動

第126回 企業研究部会

『日産ヘリテージコレクション』

12月22日(火)参加者 12名+ゲスト2名

初めての企業研究部会に厚かましくも、親子3代で参加。
日産自動車(株)座間事業所は、現在では自動車本体の生産ラインは無くなり、電気自動車向けリチウムバッテリー生産及び金型等の生産備品の製作事業所に変わっている。
予定より早い急行に乗ることができ、駅到着が早かった事と、師走としては穏やかな陽気に誘われてバスには乗らず、正面に富士を見ながら徒歩で向かった。
見学は、プレゼンテーションルームでの事業所のVTRに始まり、その後若い女性ガイドさんに連れられて本日メインのコレクションルームへと進んだ。
1933年製のダットサンから年代別に今日までの乗用車などの市販車及び24時間耐久レース等のレーシングカー、サファリレース等のサファリカーなど充実した約300台にもおよぶ展示であった。
探求心旺盛な男の子達、案内中数多くの質問、写真撮影、フリータイムには整備の方にお願いして展示車のボンネットを開けていただき説明を受けるなど、いつにも増してどなたも目を輝やかせた時間であった。
帰りは、部会恒例の反省会? 南林間駅前の居酒屋で美味しいお昼と飲み物をいただいてから帰路についた。


報告:池田(雄)、写真:田中(章)


11月の活動

第125回企業研究部会

『国立研究開発法人 港湾空港技術研究所』

11月24日 参加者:8名

京急久里浜駅からバスで5分の海に近い場所にある国立研究所を見学。
昭和21年運輸省鉄道技術研究所として発足し、安全・安心な社会形成をめざしており、海洋、地盤、新技術の3領域を19チームで研究している。

見学の概要は以下の通り。
 ①津波発生施設は、長さ184m、幅3.5m、深さ12mの水路で2.5mの津波を起こす事が出来る。
  周期の異なる高潮と津波では水路内に有る波を引き起こすための造波板の可動ストローク幅に3倍の差が有ると
  のことで、津波エネルギーの巨大さが伺えた。
 ②阪神淡路大震災を機に設置された大掛かりな三次元水中振動台は水槽内に丸い振動テーブルを設置してその上
  に構造物を取り付け3次元方向に振動させて港湾施設の地震時の挙動、地盤の液状化特性の解明等を研究してい
  る。残念ながら実際の稼働は準備中で説明のみ。
 ③人口干潟施設では現地の干潟の土と自然の海水を引き入れて人工的な干潟を再現し、全く生物が無い状態を作
  ってから始め、自然の海水に含まれる微生物が作り上げる干潟を20年に亘って観察している。実際に水槽を見
  ると長さ10cm程度の海藻が多数揺れているのが観察された。

どれをとっても地震・津波災害や干潟の再現等々自然現象の再現設備であり、かなり大きな設備も多いが、長年にわたる地道な研究が行われていて、日々の安全な暮らしはこのような研究に基づいていることを認識した日だった。


報告:柳田、写真:田中(章)) 


10月の活動

第124回企業研究部会

『平和祈念展示資料館』  

10月28日(水)参加者 12名(内ゲスト 1名)

 平和祈念展示資料館は新宿住友ビルの48階にある。ガイドは瀬古さんという貫禄ある中老の紳士だ。後で聞くと昭和13年生まれだとか。
「ここの展示は兵士、戦後強制抑留、海外からの引揚げの三つのコーナーから成ります。激戦地のこと、広島長崎の原爆のことなどの展示はありません」とのこと。
 順に観ていくうちにこの祈念館の展示のコンセプトがわかってくる。
《あの第二次世界大戦の中で、名も知れぬ庶民個々が、心身ともにどんな惨めな生活に耐え、誰を頼ることも出来ず、親しい人々の無駄な死を目の当たりにしながら、生き延びてきたか》を今の私たちに、「あんな時代があったのですよ」と静かに語りかけてくるようであった。
 兵士コーナーには、何百万人もの兵隊を戦地に送り出した臨時召集令状、いわゆる赤紙と呼ばれる一枚の紙が展示されている。令状は淡紅い用紙に「何月何日に当該地に参集しその参着を届け出ずべし云々 ○○県隊区司令部」と記されている。赤紙の所以だ。
 瀬古さんによれば「徴兵を逃れるため、いわゆる兵隊検査の前日、醤油を1升瓶でラッパ飲みし、わざと体調を崩して不合格になるよう苦心した人もいた」という。
 この赤紙はたった10枚ほどしか現存していないということだ。
 敗戦間近、当時の満州国周辺のソ連軍隊が突如国境を越えて侵入し、戦闘が始まった。ソ連軍は、降伏し武装解除された日本軍兵士を「ダモイ(帰国)トーキョー(東京)」と欺し、およそ60万人もの兵士を列車に乗せ、シベリアやモンゴルの極寒の地の収容所(ラーゲリ)に強制抑留し、乏しい食料と劣悪な生活環境の中で過酷な強制労働を強いた。
 収容所は隙間だらけの掘っ立て小屋、わらを敷いた木製ベッドに粗末な防寒服、外の気温は零下40~50度。1日の食料は350グラムの黒パン一切れ。
 日本に残した妻子や親の無事を願いながら一兵卒たちは耐えるしかなかった。寒さと栄養失調で約6万人が死去した。
 海外からの引き揚げコーナーでは、満州から博多に向かう引き揚げ船「白竜丸」の船底の情景を再現したジオラマが展示されている。四畳半ぐらいの狭い部屋に3組の家族がいる。粗末な洗濯物が満艦飾のように部屋中に干し渡してある。家族同士それぞれ足元に汚れた布包みを三つ、四つ置いてコーナーを占めている。もんぺ姿の母親とふたりの子供たちの二組は筵を敷いた床に正座して食事中である。一汁一菜だが、十分支給されているようだ。もう一組は若い女性ひとり。壁にもたれて膝を少し立て、その上に白布で包んだ四角いものを抱えてじっとしている。遺骨に違いない。目は伏せたままだ。
 これからの生活はどうなるのか思案に暮れながらもやっと日本に戻れる、そんな不安と安堵が入り交じった庶民の居住まいである。
 祈念館を出ると、久し振りの夏日、平和な青空が拡がっていた。

 東京都庁も見学

報告:磯川、写真:田中(章)


9月の活動

第123回企業研究部会

『キリンビバレッジ湘南工場』

9月30日(水) 参加者 8名

本年4月に一般公開を開始したキリンビバレッジ工場(高座郡寒川町)で「午後の紅茶ツアー」に参加。
同工場は1973年6月竣工、紅茶、お茶などを製造している。一日最大製造本数は250万本とのことである。
見学は約90分で「午後の紅茶」ができるまでの工程を見学。
人気のツアーのようで、当日は平日にも関わらず、親子連れを含め定員一杯の約30名が参加した。
名前の由来、茶葉、製法からペットボトルのリサイクルのことまで勉強になった。


報告・写真:田中(章)


8月の活動

第122回企業研究部会

『サントリー武蔵野ビール工場』

8月26日(水) 参加者 13名

当日は、あいにく小雨まじりの肌寒い天気でしたが、多くの方の参加がありました。
南武線の分倍河原駅に向かい、サントリー武蔵野ビール工場に到着しました。
案内された工場内ではビール製造工程の紹介があり、なかでも、地層によって濾過され地下深くから汲みあげられた天然水を使っているのは当社だけだ、と強調していたのには興味をひかれました。
最後にザ・プレミア・モルツを試飲。工場直の蔵出しビールは大変おいしかったです。


報告:山田、写真:田中(章)


7月の活動

第121回企業研究部会

『茅ヶ崎徳洲会病院』

7月28日(火)参加者:12名

猛暑の中参加者12名で湘南鎌倉病院、湘南藤沢徳洲会病院に続き、今年5月に開院した茅ヶ崎徳洲会病院を訪問しました。
この病院は地域密着型の病院であり特にリハビリテーションや在宅医療に力を入れているとのことです。
広々としたスペースが確保されている各階の施設を病院側職員の解説付きでゆっくり見学することができました。


報告:北村、写真:田中(章)


6月の活動

第120回企業研究部会

『神奈川県畜産技術センター』

6月24日(水)参加者:17名

小田急長後駅からバスで20分、用田を過ぎて海老名市に入ってすぐのところにある神奈川県畜産技術センターを訪問。
探求クラブ最年長の高橋(正)さんのご子息が最近まで勤めておられたとのことでその伝を頼っての見学となった。
資料によればこのセンターは歴史が古く、明治40年に県の農事試験場に畜産課が創設されたことに始まり、昭和18年に海老名の現在地に移転したとの事。
センターの目的は「畜産物の安定的な供給技術」、「都市と調和した畜産業推進の研究と技術の普及指導」、「畜産の担い手の育成と確保」が掲げられている。
この日、豚と鶏の施設は折からの疫病対策のため見学はできず、牛関係の施設のみの見学となった。
外部からの病気持ち込みには非常に気を使っており全員長靴に履き替え、それを消毒液に浸すなど万全の疫病対策をした上、牛舎内への立ち入りは禁止ということで外からの見学となった。
途中で案内図に「ミルクパーラー」という施設を発見、さてはここで絞りたての牛乳でも飲めるかと期待して行ってみたら、なんとこれは搾乳施設であった。しかもここは「行列の出来る」施設で時間になると乳牛がやってきて列を作って待つのだという。「へぇ~」の施設であった。
他にはここで開発され全国に普及した神奈川型家畜用浄化槽や牛糞処理の複列発酵乾燥ハウスなどセンターの高い技術力も見せていただいた。
近年は地域振興の観点から家畜のブランド化にも取り組んでいるとのことでそのうちおいしい湘南のブランド鶏にありつけるかもしれない。


報告:小山、写真:田中(章)・小山


5月の活動

第119回企業研究部会

『秋本食品株式会社』

5月27日(木) 参加:9名

海老名駅を下車してバスに20分ほど乗ると、目的の秋本食品に到着した。
社屋に入るとスリッパに履き替え、まず手を消毒してから会議室に入る決まりで、トイレに至っても、入室は簡単だが、退室時はやはり手を消毒しないとドアが開かない仕組みになっていた。
食品を扱う会社の宿命で衛生管理と異物混入には、細心の注意を払っているとの説明であった。

1933年創業以来一貫して漬物の生産・販売を行っている会社で、原料野菜のほとんどは国内の契約農家からの仕入れのようで、一部生姜などは輸入品とのことであった。
概略説明を受けたあと、ガラス越しに工場の生産ラインの一部を見学させてもらったが、手作業の選別作業も多いようで、神経を使う仕事のように感じた。

最後に自社工場で生産している漬物を市場価格よりやや割安と思われる価格で購入し、終了となった。


報告:萩原、写真:田中(章)


4月の活動

第118回企業研究部会

湘南ロボケアセンター

4月28日(火) 参加:17名(うちゲスト3名)
最初に会社設立と事業内容を1時間ほど説明をうけた。ここは高齢化や自然災害から県民の命をまもるための生活支援ロボットの実用化、普及につとめるための会社・施設で、介護ロボ(ロボットスーツHAL)の実物とトレーニング状況を見学、介護ロボを実際に体験し活発な質疑応答。最後にロボテラスでロボットメーカー作成した製品(自転車、車、玩具など)を体験し流れ解散。(成瀬記)


報告:成瀬、写真:池田(修)


3月の活動

第117回企業研究部会

『原鉄道模型博物館~日産グローバル本社ギャラリー』

3月25日(水) 参加:17名

3月度は横浜の三井ビル内にある原鉄道模型博物館を訪問した。意に反して蓄積されている模型はヨーロッパ製の物が殆どであった。いずれの模型も高価なものである。日本製、アメリカ製もコレクションの中にある。鉄道ファンには欠かせないジオラマはO(オー)ゲージ(レール幅32mm)現存する模型では最大のもので面積も広く圧巻である。
ジオラマもヨーロッパを背景として、ヨーロッパ製の車両が走っている。一見に値する博物館である。
博物館の後は日産自動車のグローバル本社1階のギャラリーを見た。

原・鉄道模型博物館
鉄道模型のコレクションとしては世界最大といわれる。価値のある模型が、数多く圧倒される。鉄道模型ファンにとっては垂涎のコレクションである。中にはアンティーク物でオークションで高価な値を付けて競り落とした物も多い。財産としては大変なものである。
鉄道模型はヨーロッパの富裕層ではやり始めた。種々のサイズがあるが、レールの幅でゲージとして区分される。最初に登場したのがNo・1ゲージでレール幅が40mm超える
これはさすがに大きすぎ、あまり普及しなかった。次にO(オー)ゲージ(レール幅32mm)が出現する。これが世界的なスタンダードとなる。日本の鉄道模型もこのオーゲージからはじまる。次に出現したのが、HOゲージではレール幅がオーゲージの幅の半分16mmとなった。オーゲージが交流電源であったのに対しHOゲージは直流電源を採用した。これにより手元でプラス、マイナスを切り替えれば機関車の走行方向が変えられる。この便利さと大きさによりジオラマもはやり始めた。次に登場したのが、Nゲージレール幅が9mmで小型化され、日本の様に狭い家屋でもジオラマが楽しめるようになり現在最も普及している。最後に登場したのがドイツのメルクリン社が開発したZゲージ(レール)幅6mmというものでこれは本当に小さい。精巧な機関車を作るのに高級な腕時計を作るような技術を要し価格が高いためあまり普及はしていない。
さて原・博物館に戻るが、コレクションの殆どがオーゲージである。そしてヨーロッパ製の物が多い。広大な面積に設置されてるジオラマもオーゲージでありアムステルダム駅を中心としたヨーロッパの風景で、走っている車両もオリエンタル急行やトランスヨーロッパエクスプレスなどである。
鉄道に興味ある方、無い方を問わず一見に値する。


報告:佐野、写真:田中(章)・小山


2月の活動

第116回企業研究部会

『中澤酒造(株)』

2月25日(水) 参加:10名

6月に続いて2回目の訪問ということであったが、前回はパスしていて、今回は新酒が出ていることと「まつだ桜まつり」が開かれており一足早い花見が楽しめそうということで参加した。
JRで国府津乗り換え松田駅へ。途中、曽我の梅林が車窓に広がり春が近づいているのがわかる。
松田駅ではSuicaもPasmoも使えないそうで藤沢駅で久しぶりに切符を買ったが買い方に戸惑ってしまったりして。いまどきまだICカードが使えない駅があるんですね。
さてまずは酒蔵見学ということで中澤酒造へ。残念ながら現在は新酒の製造中ということで酒蔵見学は不可。新酒を試飲するのと購入するのが裏の目的のようなものだからまぁいいかということで、桜まつりの方を先にすることに。
場所は松田山ハーブガーデン周辺。一帯に河津桜が植えられていて丁度見ごろになっている。菜の花も植えられていて色の対比が鮮やかだ。バス組と歩き組に分かれて会場へ上がる。6分咲き(会場のおばさん談)の桜をちらりと眺めてテント食堂で早速花見酒となる。
試飲時刻が近づいたので早々に切り上げ、下へおりて試飲と購入。この時期限定の「しぼりたて」とおいしいと評判の「純米吟醸酒ケーキ」を買い入れた。
後は恒例の反省会を駅前の蕎麦屋でしてから小田急線で戻った。


報告:小山 写真:田中(章)・小山


1月の活動

第115回企業研究部会

『日本新聞博物館』

1月28日 参加11名

「日本新聞博物館探訪記」
 冷たい風があるものの、よく晴れた28日午前10時、参加した11人は、シルバー料金の特典を受けて日本新聞博物館に入館した。
 日頃、新聞を身近にし、小、中学生のころは必ず行われた新聞社見学の経験を持ちながら、新聞の博物館があることを知っている人はあまりいない。
 私は、日本の新聞は江戸時代のかわら版から発展したもので、その発祥の地は東京だと思っていたが、「我が国の日刊新聞の発祥の地、横浜に2000年10月にオープンしたのが日本新聞博物館」と知って「へーっ、そうだったん だ」と思いながら、エスカレーターで2階に上がると「2014年報道写真展」が開催中だった。(下線筆者)
 入り口を入ると真っ先に出会うのが「火山灰の中に生存者〜御嶽山噴火〜」という一枚。
 畳一枚もありそうな大きな写真で、全体に薄い灰青色の火山灰に覆われた石垣の斜面があり、画面の左右に人物が座っている。左側は石像らしい。あぐらをかいた座像で腰から下がほとんど火山灰に埋まっている。右側には登山姿のたぶん若そうな女性が、石垣に寄りかかって座り、何とか落石などの被害から逃れようとうずくまって、怯えている。登山帽、ザック、靴、すべてが気味悪い火山灰をかぶっている。両手は膝の脇に置いたザックをしっかりと掴んでおり、目つきは、こちらをしっかりと見据えている。もう動く気もしないのか。手をさしのべて助けを求めてもいない。どれほどの恐怖にさらされてじっとしているのだろう。驚愕の一瞬。私はとっさに「この人はどうなったんだろう」と思う。キャプションを読むと「女性は駆けつけた救助員らによって無事救出された」とあった。
 この写真は産経新聞のカメラマンが写したもので、今回の新聞協会最優秀賞であった。ほかにも入賞作品の「浅田真央 氷上の涙」があった。ソチ五輪のショートプログラムで16位に終わったとき、氷上で両の眼からあふれ出る大粒の涙をくっきりととらえ、その心中を活写している。
 たった一枚の写真が様々な人のこころや物事を考えさせる。たまたま出っくわした写真展だったが、素晴らしい写真を見ながら深い感銘を受けた。文字で綴った文章にも感銘を受けることが多いけれど、一枚の写真がそれを上回ることもあると、今回は写真に軍配を上げた。
 新聞博物館の見学に行ったつもりだったが、新聞の歴史や役割について考えるのはまたの機会にしたいと思った写真展だった。


報告:磯川   写真:田中(章)


12月の活動

第114回企業研究部会

『法務省旧本館』

12月24日

参加者12名(内ゲストは女性2名を含む3名)

午前10時藤沢駅集合、有楽町で地下鉄に乗り換え桜田門駅下車。警視庁の向かいにある赤レンガのネオバロック様式の外壁が特徴の法務省旧本館見学へ行きました。
入門時警備員からボディーチェックを受けている人もいましたが、我々探求クラブは事前に申し込みがしてあるのですぐに2階の法務資料展示室へ案内されました。法務資料展示室は明治の雰囲気を今に伝える法務省赤レンガ棟の中に、創建当時司法大臣官舎大食堂として使われていた部屋を復原したもので、天井は高く、床は楢(なら)と黒檀(こくたん)の寄せ木張り、壁は漆喰塗りで腰壁には欅(けやき)を使用しており、まるで明治時代にタイムスリップしたような雰囲気です。受付の若い女性が案内と説明をしてくれました。

 明治政府は、諸外国との条約改正に先立ち、近代国家としての体制を整えるため、明治19年に西洋式の建築による官庁集中計画に着手しました。そしてその計画案の策定のためにドイツの高名な建築家エンデとベックマンを招聘しました。
 まず、ベックマンが来日し、大規模な官庁集中計画案を作成しましたが、その帰国後エンデがベックマン案を縮小した改正案を持って来日し、日比谷に諸官庁を建てる案を作成しました。実際に建てられたのは、司法省と大審院(後の最高裁判所)の建物でした。 
 司法省の庁舎(赤レンガ棟)は、明治21年に着工され、同28年に竣工しました。
 赤レンガ棟は、関東大震災ではほとんど被害を受けませんでしたが、昭和20年の戦災により、れんが壁とれんが床を残して焼失しました。戦後昭和25年までに改修され、その後法務省の本館として使用されてきました。そして平成3年に復元改修工事が始められ、同6年に創建当時の姿に復元されました。 なお、赤レンガ棟の外観は、平成6年に国の重要文化財に指定されています。
     (法務資料展示室パンフレットより)
    
明治政府が近代国家への脱皮の中で、最も急がれたのが司法の組織に関する立法や刑事法等基本法典の編纂事業でした。お雇い外国人の指導の下、明治13年に公布にされた我が国最初の基本法である旧刑法及びその関連資料等法整備の歴史が展示されている「法務史料の展示(司法の近代化)」をはじめ、「建築史料の展示(建築の近代化)」、裁判員制度等我々の身近な司法関連の紹介等の説明を受けながらの約1時間の見学でした。
旧司法省の住所が千代田区霞ヶ関1-1-1と1並びの背景が分かったような思いがしました。

 ←オマケ。本館の対面にある桜田門

報告:西野、写真:田中(章)


11月の活動

第113回企業研究部会

『KYB史料館 (KYB株式会社)』

11月27日 参加 9名

11月の見学先企業はKYB(株)である。KYBと云われても、最近流行りの女性グループか?と思ってしまう。自動車に興味のある方は「萱場工業」と言い当てることが出来る。
KYBは航空機の発展に貢献した企業で、戦前の飛行機の主脚に組み込まれた降着緩衝装置「オレオ」をほぼ全量作った会社である。萱場の歴史はこれが原点と云え、説明員の解説も「零戦の主脚」から始まった。
現在は自動車・建設機械の油圧技術を駆使した製品の開発・製造を手掛けており消費者には最終製品として目に見えない少しの力で油圧を制御することで、動きをコントロールする縁の下の「力持ち」の会社で活躍している。
展示内容は実際の油圧の仕組みを理解出来るよう工夫されており、油圧を利用した製品の展示でKYBを理解する事ができた。油圧の基本は「漏れない」「壊れない」「錆びない」との事、シンプルである。
夕日が丹沢山塊に落ちる頃、相模大野駅で散会となり今日の学習の復習をして帰宅となりました。


報告:守谷、写真:田中(章)


10月の活動

第112回企業研究部会

『日本郵船歴史博物館~日本郵船氷川丸』

10月22日(水)参加者11名(部員10名+ゲスト1名)

22日に横浜の日本郵船歴史博物館及び氷川丸を見学した。あいにくの寒風、雨の中で有ったが11名が参加(内一名はゲスト)。
日本郵船は約130年前に設立されて以降、日清戦争での軍事輸送で大きな利益を上げたのち順調に国際航路網を拡大、世界有数の海運会社に発展した。
ところが第二次世界大戦ではすべての民間船は陸軍・海軍の徴用船と成り、国の必要物資の輸送に従事。結果、日本郵船では所有222隻中185隻を失って壊滅的な打撃を受けた。残った船のうち太平洋を横断できるのは戦時中病院船として使用された氷川丸のみで有った。その後朝鮮戦争により占領軍の統制が解除されアメリカ、パナマ運河を始め順次戦前の航路を回復。コンテナ船、LNG船、クルーズ船等時代の要求に合わせて拡大してきた。
日本郵船は戦争の歴史で有った。
氷川丸は1930年にシアトル航路用に建造された貨客船。全長163メートル、11,600トン。戦時中は病院船となり、終戦までに3回の触雷が有ったが沈没を逃れた大変幸運な船でもある。30年間活躍した後山下公園前に係留され、日本の造船技術、船内インテリア等貴重な産業遺産を見学できる。(豪華な一等食堂、社交室、読書室、喫煙室、船長室、最新鋭のエンジン等)。現在は横浜市指定有形文化財になっている。
80年前にこのような立派な客船が建造されていたのは驚きであった。
帰りは近くの中華街で昼食後解散した。

日本郵船歴史博物館前にて 氷川丸操舵室
1等船室 1等船室 その2
3等船室 機関室
ホテル・ニュー・グランドを望む 氷川丸をバックに

報告:細田、写真:田中(章)


9月の活動

第111回企業研究会

『小松ばね工業(株)』

9月24日(水) 参加者13名

小松ばね工業株式会社を9月24日(水) 参加者13名で訪問しました。
会社は大森の下町にあり、あちこちの工場からは機械の音や臭いがして昔の懐かしい記憶がよみがえりました。
大田区の「優工場」認定「総合部門賞」に選ばれ、2002年に「ISO9001」*(下記)を取得、自社にて治工具類、金型を製作され規模が大きくなるごとに工場を建て増しされた様子がうかがえました。
おもちゃの病院でよく見かける電池の+、-に使われるスプリングの加工は機械の後ろからピアノ線が送り出され治工具で丸められ、機械の表面に取り付けられた7~8個の治具がカムにより中心に順番に送り出され、治具の形状により曲げられ、引っ張られ、向きを変えて、丸められ最後に切断されて1個の製品になる。線径0.03㎜、外径0.14㎜の加工は肉眼では様子がわからないスピードで飛び出してくる。
又、瞬時に焼き入れする機械、外径2㎜、長さ10㎜のスプリングの不良品を判定してはじきだす機械もあり見飽きることはありませんでした。
5㎜ぐらいのコの字の製品を割り箸で10個ぐらい広げて行う不良品検査の早業には見とれました、忍耐がいる作業です(若い女性)。

ISO 9001 品質マネジメント:
事業規模を問わず、世界中で最も認知された品質マネジメント規格です。製品やサービスの品質管理、仕組みづくりを通して、コスト削減、利益拡大、より多くのビジネスチャンスの獲得、そしてより多くの顧客の満足度を向上させます。

工場内 自動成形機に見入るメンバー
初期から今も活躍の自社製成形機 目視による不良品検査(驚きの早さ)
本社前にて(中央:小松会長、右は小松社長)

報告:黒川、写真:田中(章)・小山


8月の活動

第110回企業研究部会

『円覚寺(日曜座禅会)』

8月31日(日) 参加者7名(部員6名+ゲスト1名)

鎌倉円覚寺の日曜説法坐禅会に参加しようと、北鎌倉に集合、8時に円覚寺に着き大方丈に向かうと、すでに待ちの列ができている。
初めての者は別室で坐禅の仕方の手ほどきを受けてから大方丈へ行き、会場一杯の参加者と共に、座禅を組む。
間もなく横田南嶺管長の法話が始まる。臨済宗は看話禅なので、この間も座禅を続けて聞き入る。
8時半から9時半までの1時間、初めての経験だったが、獅子脅しと蝉の声に法話の澄み切った声が胸に響き、一時俗世を忘れた。 


報告:岸、写真:大野(ゲスト)・田中(章)


7月の活動

第109回企業研究部会

『さつまや本店』

7月23日(木)午後 参加:13+1計14名

東海道は遊行寺のだらだら坂をおりて藤沢橋を右に曲がれば東海道随一の藤沢宿。往時の面影があちらこちらに残る町並みは、やはり藤沢市の自慢スポットになりつつあるやうだ。もう少し先を左に入ると「飯盛女」の墓で知られる永勝寺がある。旅籠屋小松源蔵は自分の店で働いていた身寄りのない飯盛女が若死にすると、普通はお墓なんかに
入れない娘達をねんごろに葬ったそうで、39基の墓がここ永勝寺にだ いじに保存されている。41年間に39人亡くなり、平均年齢21才と3ヶ月だったそうな。そんなわけで?我々はちょっと手前の街道に面した寿司店「さつまや本店」で、飯盛りならぬ飯握りの勉強をすることに。

親方56才はもと野球選手、若女将46才はもと女優?まあ教授と准教授みたいな役割で、我々14人を懇切丁寧に指導してくれた。胡瓜の細巻き、軍艦巻き、握り、の基本を習得するわけだが、皆さん年の割には覚えが早く手際よし。教授陣もびっくりぎょうてん、褒めちぎることしきりで、これじゃあいつでも店が持てるぞ。だけどオレんちから2キロ以上離れてやってくれ!だと。で、各自握った寿司をセンスよく盛りつけ、一杯やりながら完食う!いい気分で店を出た頃には、心なしか一人前の寿司職人になったやうな顔つきではありました。
ところで、鮓(すし)といへば夏の季語。昔は夏に腐らないやう酢で締めて熟れ鮓にしたことから夏の季語としたらしい。
 寿司握る手先に触れる若女将 まさひさ

親方と若女将 かっぱ巻きのお手本

 

 
寿司をきれいに盛り付けて完成 野口さん作、お見事!


報告:野口、写真:田中(章)・小山


6月の活動

第108回企業研究部会

『中澤酒造』

6月25日(水) 参加:8名

今年もの日本酒の酒蔵「中澤酒造」(足柄上群松田町)を見学してきました。
時期的にはすでに仕込みも終わり瓶詰などの作業は見られませんでしたが、最初に酒米(自社でもコメ作りをしている)の精米の%の多さで大吟醸、本醸造等に代わるなど説明を受けて蔵の中を見学しました。
酒蔵に入るとすぐに大きな窯が土間に埋め込んで有りその上で大きな蒸し器で約300キログラムのお米を蒸すとのこと、大事なのは水の含有量で時間を測りながら行っているとのことでした
作業者は納豆などは食べないそうです、酒の麹菌に他の麹が混ざらないためだそうです。
以前は東北よりベテランの杜氏さんが来ていたが現在は社長さんが2年間修業してきて酒造りをしているとの事。
見学が終わり楽しみの試飲会、5種類の瓶がありそれぞれに香りや舌触り、のど越しの違いが?有り飲む順番を教わりながら充分に試飲を楽しみ、皆さんお気に入りのお酒を買い求めました。残念ですが鵠沼では販売されていません。
是非、近くの酒屋さんに、松美酉「まつみどり」をご紹介くださいとのことでした。
残念ですが粕取り焼酎は酒粕を皆さんが求められるので製造はしていませんでした、残念。
次回は2月頃に行きましょう。


報告:黒川、写真:田中(章)


5月の活動

第107回企業研究部会

『聖徳記念絵画館』

5月8日(木) 参加:16+ゲスト7名

近代史を語る会と合同にて「聖徳記念絵画館」見学。



4月の活動
第106回 企業研究部会

『東芝科学未来館』

4月23日(水) 参加:8名

JR川崎駅西口一帯を占拠していた東芝本社工場跡が、大規模商業施設「ラゾーナ」に生まれ変わり驚いた。
それは辻堂駅北口のテラスモールをしのぐスケールだ。
その一角の東芝ビル2Fに「東芝科学未来館」はあった。我が国の代表的な電機メーカー東芝が誇るエレクトロニクスから医療器械MRIまでの企業PR館でもあった。
その中で、文化生活のシンボルでもあった電球やラジオなどが当時のまま展示されていてなつかしさでいっぱいだった。
未来の世の中はどんなに発展するのか夢物語風に展示され、科学の不思議さ面白さを十分満喫させるものがあった。

サイエンスゾーン(超電導リニア)
創業者の部屋(からくり人形) 1号機ものがたり(電気洗濯機)

報告:関根(次)、写真:田中(章)

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